◆恩師をしのんで
学生時代の指導教官は私が大阪に来てからも遠くから見守っていてくださいました。
あれは大学を卒業して3年足らずのときだったと思います。大学院留学の相談をした私に「コミュニケーションなんてものを勉強して帰ってきたところで就職口はないぞ」と、厳しいけれど実に的確なご助言をくださいました。それなのに、先のことなど考えられず、勢いだけで突き進んでしまいました。
帰国後に「先生のおっしゃる通りだったなあ」と何度思い返したことでしょう。私の場合は運がよかったとしか言えません。なんとか仕事にありつけたのは、NECソフトでの経験がわずかに道を開いてくれただけのことです。
あれから無我夢中で走り続けて約20年が経過しました。なりふりかまわずがんばってきて、すでに身体はボロボロだけど、曲りなりにも細く小さな道ができたのかな…?と思い始めた矢先に、恩師の訃報が届きました。ゼミ仲間とはすっかり遠のいてしまっていたのですが、大先輩たちの呼びかけのおかげで、ゼミ卒業生のネットワークに加えていただきました。
そうそう。ゼミの後輩に関西出身の子がいて、当時はまさか自分が将来大阪で仕事をするなんて想像できなかったけれど、その子が波乱万丈の人生経験を経て、今では堺市の小学校の先生をしています。
不思議なタイミングですが、昔のご縁がよみがえるこということがあるんですねぇ。
あれは大学を卒業して3年足らずのときだったと思います。大学院留学の相談をした私に「コミュニケーションなんてものを勉強して帰ってきたところで就職口はないぞ」と、厳しいけれど実に的確なご助言をくださいました。それなのに、先のことなど考えられず、勢いだけで突き進んでしまいました。
帰国後に「先生のおっしゃる通りだったなあ」と何度思い返したことでしょう。私の場合は運がよかったとしか言えません。なんとか仕事にありつけたのは、NECソフトでの経験がわずかに道を開いてくれただけのことです。
あれから無我夢中で走り続けて約20年が経過しました。なりふりかまわずがんばってきて、すでに身体はボロボロだけど、曲りなりにも細く小さな道ができたのかな…?と思い始めた矢先に、恩師の訃報が届きました。ゼミ仲間とはすっかり遠のいてしまっていたのですが、大先輩たちの呼びかけのおかげで、ゼミ卒業生のネットワークに加えていただきました。
そうそう。ゼミの後輩に関西出身の子がいて、当時はまさか自分が将来大阪で仕事をするなんて想像できなかったけれど、その子が波乱万丈の人生経験を経て、今では堺市の小学校の先生をしています。
不思議なタイミングですが、昔のご縁がよみがえるこということがあるんですねぇ。
by tomac
| 2011-05-13 20:05
| 日々の出来事