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コミュニケーション能力と学び(覚え書き)

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■信仰のはなし

 昨日の記事にコメントをくださった井上はねこさんは、幼いときの苦々しい体験を聞かせてくださいましたが、どんな宗教にも「宗教的な人=原理主義的な人」っていますよね。キリスト教にもたくさんいますよ。そういう人に限って、「敬虔なクリスチャン」なんていわれてたりする(笑)。

 ちなみに、井上さんが私のことを「クリスチャンと公言している」と思われたのは、このサイトによるのでしょうか?そういわれてみれば、過去のコンテンツにはそういう内容も含まれているので、無理もありませんね(笑)。あまり意識していませんでしたが(汗)。

 いつでも「自分は何か大きな存在に生かされている」という実感はあります。ただ、最近はそれを「○○教」という枠組みに納めることの限界を痛感しています。この感覚はなかなか言葉で表現しがたいのですが、柳澤桂子さんがそれを言い当てています。精神世界に関する言説で、これほどしっくり来る感覚は本当に久しぶりのことでした。

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 意識が未発達のときは、自然のすべてに神を観るアニミズムである。自我が確立されてくると、人格神をいただくことになる。この考えは宗教学では否定されているというが、生物学的には、理にかなっていると思う。人格神を超越したところに、神のない信仰の世界があると私は信じている。
 仏教では釈尊はあまり強い権力を持たない。キリスト教になると、のちの人々が、キリストを強い人格神にしてしまう。しかしそのキリスト教でも、バルトは極限まで宗教レベルの神を否定して、「神なしの神学」を唱えた。この思想は弟子のボンヘッファーに引き継がれるが、惜しくもボンヘッファーは若くしてナチスに殺された。
 人格神を否定するのではなく、われわれが謙虚に成熟し、人格神の存在を超越するまでは、われわれは苦しむのではなかろうか。
-----(柳澤桂子「人格神を超越するまで」朝日新聞2005年3月8日)

 なお、柳澤さんは、精神科学、脳科学、生命科学の視点に基づく詳しい解説をされているので、興味があれば、もよりの図書館で閲覧してみてください。
by tomac | 2005-03-12 10:03 | 日々の出来事
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