コミュニケーション能力と学び(覚え書き)

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◆追記

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断片的な引用だけでは、なかなか著者の真意が伝わらないと思いますので、前後の文脈を補足しておきますね。

『脳神経倫理学の展望』信原幸弘・原塑(編著)



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 だが、現時点でそうした問題の可能性を言い立てることは控えるべきであり、宗教と科学の関係に対する神経科学の影響は、今のところ予想しがたいとすべきだと私には思われる。こうした態度に煮え切らなさを感じる人も多いだろう。そこで、最後にこの点を弁明しておきたい。
(中略)
 脳神経科学が人間の脳や心について、着実に研究成果を上げていることは事実である。しかしながら、実験的に裏付けられたさまざまな知見ですら、動物の脳に関するものであったり、かなり限定された実験状況での人間の脳に関するものであり、現実の生活状況における人間にどれだけ当てはまるか、決して定かではない。さらに心と脳の関係という根本的なレベルの問題にいたっては、いまだに難問が山積みしている。科学者自身はこうした限界を自覚しつつ慎重に研究を進めていると思われるが、しかし科学者の手を離れ、脳神経科学の知見が社会の中に流通するとき、往々にしてそうした限界や慎重さは忘れられているのではないだろうか。今の日本には、脳が心のあり方を決定し、またその決定のあり方について脳神経科学が確定的な知見をもたらしているかのように語られるという現状があると思われる。たとえば、ゲームの影響や早期教育に関する論調に見られるように、ときにそれは非常に脅迫的なトーンを帯び、親や教育者を心理的に圧迫し、一部の行政の長に根拠薄弱な見解を植えつけることを通じて、現に日本の教育環境を悪化させていると思われる。
 脳および脳神経科学をめぐるこうした現状もまた、脳神経倫理学が問題にすべき事柄であろう。そして重要なのは、脳神経倫理学の言説自身が、そうした状況を悪化させる一因にもなりうるということである。現在の脳神経科学の知見から今後を予想し、問題が生じる可能性を言い立てることは、脳神経科学が人間の脳や心について確定的なことを知りえているというイメージを補強しうるし、さらにはそれ自身が問題の原因になりうる。たとえば私がここで、宗教が自然化され消滅すると予測したとする。この予測自身は根拠薄弱であるが、しかしそれによって原理主義的な宗教団体が、科学を公共知として受け入れている市民社会に対する敵対的態度を強化するということは十分にありうる。それゆえ、倫理的問題が生じる可能性を安易に言い立てるべきではないと思われる。脳神経倫理学を論じるものは、自らの言説自身が倫理的に有害でありうることを自覚すべきであり、脳神経科学だけでなく、脳神経倫理学自身をも批判的考察の対象とすべきであろう。
-----高村夏輝「神経神学は神を救いうるか」(335~336ページ)-----

さすがは倫理学者だな、というのが一読者としての感想です。

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by tomac | 2014-06-09 08:10 | 日々の出来事
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