人気ブログランキング | 話題のタグを見る

コミュニケーション能力と学び(覚え書き)

tomag.exblog.jp ブログトップ

■ことばとイメージ (番外編5) → 英語と教養と信頼関係

毎年恒例の年賀状は、私にとってかなり重要なイベントですが、そんな思いが伝わったのか、「ホームページに掲載されている写真を使わせてください」とお願いしたフィンランド人の彼は、想像以上に骨を折ってくださり、最後まで色調やサイズを気にかけてくれました。

フィンランド人の国民性なのかもしれませんが、フレンドリーとは必ずしもいえないけれど、こちらから声をかけると、とても誠実にこたえてくれる人たちです。こういうとき、多少なりとも英語ができてよかったな~と思います。今回は簡単なメール交換だったので、中学英語の文法知識があれば十分といったレベルでしたが、中途半端な知識では歯が立たないという場面に遭遇することも多々あります。これを端的に記述しているのが、本学(関西大学)の「とある総合情報学部生」のつぶやきです。

-----
私は高校3年間を普通科ではなく英語科という専門学科で過ごしたのですが、そこで卒業までお世話になった先生に「英語教育は真に日本語を理解するためにある」と言われました。"大陸間弾道弾"を意味する英単語を知っていたとしても、"大陸間弾道弾に関する知識"がなければ、ノドン・テポドンやMD構想に関する議論はできない、議論の内容を理解することはできても、議論に参加することはできない、と。また、ロリコンでない外国人が、発音の上手な小学生と、発音の下手な大学教授のどちらと議論したいかは、火を見るより明らか、だとも。だから、暇さえあれば読書して教養ある人間になれ、と。しかし、牧野先生が仰るように、"建設的な"コミュニケーションを図ろうとするなら、相手の言ってることが理解できるぐらいの文法や語彙は必要かなと思い始めた今日この頃です。
-----

つぶやきさんの恩師の方がおっしゃられたことは、本当にその通りだと思います。

私が大学院に留学したときは(→こちら)、すでに一年間の学部編入を経て、日常会話はほぼ問題がなかったにもかかわらず、最初の半年は、授業中に交わされる議論の内容は全く理解できませんでした。レポートも一定の水準を満たしていなければ受け取ってもらえませんから、当時は毎晩のように、大学のWriting Centerに通いました。本来は、作文の苦手な学生に対して、優秀な学生がアルバイトで添削してくれるサービスなのですが、足繁く通っているうちにチューターたちと友だちになり、添削そのものよりも、レポートの内容について議論するのが楽しみで、心待ちにしたものです。

コミュニケーションは、小さなことの積み重ねなので、その一つひとつに丁寧でないと、たとえ言語能力や一般教養があっても、そう簡単に信頼関係を築くことはできません。
■ことばとイメージ (番外編5) → 英語と教養と信頼関係_b0046050_1959415.gif

この写真は約十年前に撮影したものですが、私は修士論文の提出直後で憔悴しきっています。隣にいるのはWriting Centerの責任者を務めていた学生(当時4年生)で、私が最も信頼していた一人です。現在はなんと5児の母です(!)。彼女が専業主婦を選んだのは意外でしたが、家族写真の中心にいる姿は実に幸せそうでした。

いつか、博士論文を翻訳できる機会が与えられたなら、真っ先に彼女に読んでもらいたいと思っています。あの頃、たどたどしい英語で熱く語る私の話に、いつも熱心に耳を傾けてくれたから…
by tomac | 2006-12-18 20:01 | コミュニケーション能力って
line

このブログのトップページは www.tomac.jp です。


by tomac
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31