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コミュニケーション能力と学び(覚え書き)

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■対話デザイン2007 → 受講生のふりかえり(2)

この話は、授業ではしなかったのですが、ふと思いついたので、ブログに補足してみます。私の判断と行動に「納得がいかない」と思っている人に届けば幸いです。

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ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。(マタイによる福音書18:11-13)
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これは聖書の引用で、しばしば「理想の教師像」として語られます。しかしながら、私の解釈は、一般的な解釈とは異なっています。

たとえば、学校現場でよく見かける光景ですが、不登校の子どもの家に毎日毎日家庭訪問する「金八先生」のように熱心な先生はたくさんいます。しかし、無責任を承知で自分の考えを述べると、私なら、不登校の子どもを無理に連れてこようとはしないと思います。中には、自分なりの考えがあって学校に行かない子もいれば、学校で長時間を過ごすことが耐えられないほど苦痛に感じる子もいるだろうと思うからです。ただし、もしも何かのきっかけで本人が自らの意思で学校に来たら、その子の「居場所」をつくるように努力すると思います。

キリスト教関係者から苦情がくるかもしれませんが(汗)、この聖句の一般的な解釈には盲点があると思うんです。山に残された九十九匹が羊飼いの帰りを待っていられるとしたら、そこには信頼関係があるからです。信頼関係がなければ、羊飼いが不在の間に九十九匹が散り散りばらばらになってしまうでしょう。

ですから、私の基本的な考え方は、一匹はあきらめて九十九匹を守る、というものです。しかし、この原則には例外があって、もしも迷い出た一匹が羊飼いに助けを求めていたら、九十九匹を待たせて、一匹を助けに行きます。なぜならそれは、九十九匹との信頼関係を築くうえで欠かせないプロセスだと考えるからです。

今回の「不正行為」に対する私の判断と行動はこの理念にのっとっています。真剣に取り組んでいる多くの受講生に対して恥ずかしくない授業をすることが私の責任であり、代筆や遅刻に対していちいち時間を割くようなことは本当はしたくないのです。しかし、不正行為の被害者が、自らの意思で助けを求めてきたので、できるだけのことを精一杯しました。

ただし、私の解釈が一般的な聖書の解釈とは異なっているように、私の価値判断がすべての人に納得してもらえるとは思っていません。受講生の感じ方も本当に人それぞれでした。

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●先生の評価の仕方や試されたことについては納得、同意できる点も多くあれば、いまいち納得のいかない点もあったりした。先生が間違ってるとまでは思わないが、もっと意見を交わしてみたいとも思った。が、ある程度は授業内でそれもできたと思う。

●代筆の問題において、その行動をしたやつは悪いですが、先生も生徒を拒絶するような反応を取ったので、もう少しやわらかく生徒とコミュニケーションをとったらどうかと思いました。半年間ありがとうございました。

●先生の授業に対しての態度は共感する部分もあったし、授業の途中にドタドタと入ってこられるのは確かにイヤだった。でも、学生が点数を気にしながら授業を受けるという授業の流れだけはしない方がいいと思っています。

●講義お疲れ様でした。先生の対応には正直納得しかねる部分もありましたが、怒りではなく面白さを感じました。これからも御自身の考えは大切にしてほしいです。ありがとうございました。

●発言をすることが苦手な私には[レポート]を書くことが授業に参加することでしたから遅刻はしませんでした。だから、秋学期の後半に先生が途中から入ってくる生徒に対してペナルティを課したときに毎日早く来てよかったと思いました。私は聞くということで授業に参加していたんだなと感じることができました。発言ができる人間になりたいと思いました。

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一方、不正をしていた当事者たちからは次のようなコメントが寄せられました。

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●レポートでは自分なりに頑張ったと思うし、よくできたと思う。しかし、やはり後悔するのは代筆だ。自分の行為によって他人に迷惑をかけていたとは分からなかった。逆に言えば、知ることができ、それはそれでよかったと思う。少しは成長できたのかもしれない。

●僕は2、3回遅刻してしまって、[先生]が僕達のために必死で講義をやってくれているのに、自分の考えの甘さが出たと思っています。恥ずかしながら[先生に]怒っていただいたおかげで、自分の考えの甘さに気づかされました。迷惑をかけてすいませんでした。

●秋学期の自分の授業への取り組みはあまりよくありませんでした。欠席したり、来ても参加できていなかったりしていました。しかし、前の授業で先生が怒られてから、私のやっていた行動は先生にとって失礼な態度だということに気付きました。大学生になって怠けた生活をし、自分だけならまだしも、周りの人に迷惑をかけたことに反省しております。本当に申し訳ありませんでした。

●この授業は私にとって常に眠気との戦いであった。一時限目ということで時間が早いから、というのはただの言い訳にすぎないが、先生が話をなさっている最中に気を失ってしまうことが何度もあった。それでも遅刻だけはしまいとがんばっていたのだが、一度だけ寝坊が原因で遅刻をしてしまった。30分程度の遅刻だったのだが、それぐらいならいつもレポートを書く時間に十分間に合うだろうとたかをくくって登校したのだが、その日だけは先生が開始後15分までに授業に関することを受講生に書かせ回収した日であった。その日先生はレポートを書き提出する時間を十分に与えてはくださらなかったので、私は開始後15分までに回収された紙もレポートも提出できず点数を得ることができなかった。最初はいきどおったが、これは自分の不注意がまねいた事態であるし、普段の授業においても眠気のせいであまり先生の話を聞けてはいないのでそのバチが当ったのだと思う。それらをふまえ、もう少し生活習慣を見直し、万全の体勢で授業にのぞめば良かったと後悔している。

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このほかにも「対話の責任」に関するコメントがたくさん寄せられましたが、そのうちの一つをご紹介しましょう。

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●この授業において一番印象に残ったのは「対話の責任」という言葉です。日本では古来より言葉に魂が宿ると信じられてきました。あながち、そのことは嘘とはいえないでしょう。これから社会に出ていくことになりますが、自分の発言に責任を持つことはもちろんですが、相手の話を聞く、言わんとしていることを理解しようと努力する、その事によってきちんと責任をはたさなければならないということが理解できました。これからはこのことを肝に命じて、日々の生活を送っていきたいと思います。
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私は、自分の判断と行動が万全だったとは思っていませんが、「責任」ということを伝えることは、知識を教えることよりはるかにむずかしいことを考えれば、挑戦した意義はあったのではないかと自分では思っています。そして、今はまだメッセージが届いていない人にも、今後の人生の中でいつか思い出してもらえたらいいな、というのがささやかな願いです。

受講生のふりかえりシリーズ>は、このあと話題を変えて、さらに続きます。

by tomac | 2008-01-13 13:00 | 牧野ゼミ(対話デザイン)
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