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コミュニケーション能力と学び(覚え書き)

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2005年 06月 12日 ( 1 )

■映像ブログ→「メディア・リテラシー教育の課題」

 「共通点とは、何か?」という問い(→05.06.8)は、答えにくい質問だったかもしれません。そこをあえてきいてみたかった気もしますが(笑)、たまたま目にとまった新聞投書を読んで、「ひょっとすると、こういう違和感だったりして…?」と思ったのです。

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 5月末の金曜日のこと。小学校3年生の娘が学校から帰ってきた。初めての習字の授業があったという。どうだったと聞くと「楽しかったよ。宿題は筆とすずりを家で洗ってくることだよ」という。私は真新しい習字道具を手に取ってみた。なんとプラスチック製すずり。石などで出来ていると思っていた私の固定観念が崩れた。セットには墨は入っているが、使った形跡はない。
 娘に聞いてみると、セットに入っている墨汁を、そのまますずりに入れるので墨は使わないらしい。娘も「いったいこれ、何に使うんだろうね」という。あまりの驚きに言葉が出ない。小学生の特に低学年は先生から教えてもらうことがすべてだ。学校で習ったのだから、子どもたちはこれが習字だと思ってしまうのが問題なのだ。勤め先の他区の人にも聞いたが、同じようなものだという。
 ここまでして無理に習字の授業をする必要があるのだろうか。教えること、教わることは何であるのか。教育関係者に、ぜひ考えてもらいたい。
-----(墨を知らずに習字の授業? 長田眞美 朝日新聞「声」2005.06.11)

 プラスチック製の習字セットは、まるでお手軽な映像編集ソフトのようです。かつて近世の人たちが初めて文字を手にしたときの感覚は、現代の私たちがマルチメディアを手にするときの感覚と似ているのではないかというのが私の持論ですが(*)、ちょうどゼミのみんなが試行錯誤を重ねつつ編集効果の一つひとつを丹念に積み上げているように、文字が唯一の表現メディアであった人たちは、墨をすってすってすってすって墨汁をつくるというプロセスに自分の思いをこめたことでしょう

 さて、映像ブログ裁判員制度(その1)」では、とりあえず「個人情報を守る」という意図で編集することから始めてみましたが、どうやら、それだけではうわすべりしてしまうということがわかってきました。伝えたい思い(メッセージの能力)と伝える方法(メディアの能力)が有機的に結びついていなければ、大学の授業も小学校の授業もあまり変わらない、ということなのだろうと考えたのですが、いかがでしょうか…?

(*)近日出版予定の『教育メディア研究』の特集号(メディア・リテラシー教育の課題)の中で、「情報教育と国語教育の類似性―形から入る学習文化の課題」という論文に詳しく書いています。
by tomac | 2005-06-12 11:20 | 牧野ゼミ(表現活動)
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