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コミュニケーション能力と学び(覚え書き)

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2008年 02月 01日 ( 1 )

■高等教育の歩み

対話デザイン2004 受講生のふりかえり(4)」に対して「総情三回生さん」からコメントが寄せられたので、ご紹介します。

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 本物の学問を展開するなら、やはりテストという制度を撤廃しなければならないのではないでしょうか。例えば、「SF」という言葉についてテストで出題されると、

 Q. 「SF」とは何か? → A. SFとは、Science Fictionの略称である。

 となりますが、これが大学でやるべきことでないのは当然です。私からすれば、

 Q. 「SF」について論じよ。

 というレポートを出題させ、

 A. 一般的にSFとは、Science Fictionの略称とされている。しかし一方で、SFとはSpeculative Fictionの略称である、と主張するSF作家たちが存在する。その筆頭がハーラン・エリスンで……、

 といったレポートを書いてきた場合に初めて評価の「対象」とする、これが学問であるように思います。
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本当にその通りだと思います。私も自分が大学生のときに同じような疑問を抱きました。そもそも本を開けばそこに書いてあることを「解答用紙」と呼ばれる別の用紙に(記憶を経由して)書き写すことに何の価値があるのだろう??と不思議でなりませんでした。

今になってわかったことは、「学ぶ」ということの定義が人によって大きく異なるということです。私の「学び」の定義は「既存の知識(先人たちの成果と失敗)をふまえつつ、学び手が新たな意味や価値を生み出すこと」です。しかし、その意味での「学びの成果」を正当かつ公平に評価するのは難しく、また非常に時間がかかります。残念ながら、そのための時間は大学教員には保障されていません。いわゆる一斉テストは、そういった様々な制約の中で発達した評価方法です。大事なことは、それが数ある評価方法のうちのたった一つの不完全な評価方法であるということを、評価する側もされる側も認識していることではないでしょうか。

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 第一、本当に学問をしている人は自らが「無知であることを知っている」のであって、それを信条とした場合、テストは白紙提出もしくは受験拒否が当然でしょう。『「学びたくて大学に来たのに、高い学費を払って単位を買っているだけ」と愚痴をこぼす学生』は、結局のところ、学問の真髄を理解していないように思います。あるいは、学問に人生を捧げるつもりがないのか。少なくとも、それでは本当に「学びたい」とは言えないでしょう。「志の高い学生たちに照準を合わせた授業があってもいい」のではなく、全科目そうでなければならないでしょう。
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私も全科目がそうであるべきだと思います。そういえば、ICU(国際基督教大学)では大学教員が研究職教育職に分けられていると聞きました。これは米国の影響でしょう。決して米国の大学教育がすべてにおいて日本に勝っているとは思いませんが、現在日本の大学が直面している多くの課題が、米国では数十年前にすでに経験され、一足も二足も早く問題解決に取り組んできたということなのでしょうね。世界的に見れば、教育の先進諸国に比べると、日本は高等教育の開発途上国といえるのかもしれません…。

ただ、大学の授業は講義だけではなく、実習演習もあります。総合的に見れば、少なくとも私が大学生だった頃に比べれば、前進しているはずだと思いますが。

by tomac | 2008-02-01 15:25 | コミュニケーション能力って
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