コミュニケーション能力と学び(覚え書き)

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■達成感

 3本の原稿ノルマって、苦しかったけれど、なんとか月末の締め切りに間に合わせることができました。やっぱり、何かをやり遂げたときって、すごく気持ちいいです。

 実は、この達成感っていうのが、やる気を高める作用があるようで、『海馬』(朝日出版社2002)の池谷氏によると、その効果は脳科学の視点から説明できるそうなのです。

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 達成感という快楽をいかに味わうかと言うと、「目標は大きく」ではなく、「目標は小刻みに」と心掛けるほうがうまくいくようです。もちろん、大きな目標を持つことは大切なのですが、「今日はここまでやろう」とか「一時間でこれをやろう」と、実行可能な目標を立てると、目標を達成するたびに快楽物質が出て、やる気を維持できます。
(p.209)
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 たしかに、一年先とか、十年先とか、大きな目標も大事だけど、それに近づくために、今日はここまで、今月はここまで、って小さな目標を立てると、そのたびに達成感を味わえるわけだから、得かもしれませんね。(笑)
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by tomac | 2004-11-30 21:29 | 日々の出来事

■「読まれるブログのコツ」?

 昨日の朝日新聞に、「魅力的なブログ作ろう」という記事が掲載されました(2004日11月28日)。たとえば、「読まれるブログのコツ」として、

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(1)簡潔に

 一項目400字が目安

(2)メリハリを

 強調する文字は大きく、4~5行で再改行して段落かえ

(3)率直に

 「自分はこう思う」とさらけ出せば議論が深まる

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 と指摘されていました。

 う~ん。できてることと、できてないことがありますね。とくに、文字数はかなりオーバーということですな…。(汗)

 ちなみに、ブログとBBS(掲示板)を比較して、

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●ブログは直接コミュニケーションに近い

●(掲示板は)書き込みの内容をコントロールしにくい

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 という解説もありましたが、詳しく書かれていないので、意味がよくわかりませんでした。

 たしかに、掲示板よりブログのほうが、自分の選んだテーマを中心に話を展開できるという利点がありますよね。

 けれども、ブログが直接コミュニケーションに近いのは、どうしてなのかしら?
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by tomac | 2004-11-29 20:15 | 日々の出来事

■秋ですね

 平井堅の新アルバムを購入したというお話は既にしましたが(2004年11月25日)、
お目当ての「思いがかさなるその前に…」という曲をさっそく聴いてみました。

 なんというか、

 何回きいても泣ける。

 そんな曲です。(笑)

 「Pure Pure Piano」では、ピアノのMIDI演奏が聴けますよ。(トップ→MIDI→J-pop)
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by tomac | 2004-11-27 17:38 | 日々の出来事

■E-Learn 2004 報告(その4)

 報告の続きを忘れていたわけでは決してありませんの。(汗)

 月末締切の原稿がずっしりと肩にのしかかっていたのですが、3つとも何とか形になったので(ふ~)、あとは残り数日かけて最終チェック、というところまで漕ぎ着けて、やっと気持ちが開放されたところなのです。

 そんなときブログを始めたのは無茶だったのかもしれませんが(でも、ブログを始めたほうが先だったのよ…涙)、無理せず、できる範囲で書いてたら、かえって頭が整理されて、原稿のほうも筆が進んだりもしたので、必ずしも障害とはならなかったようです(?)。

 と、前置きはこれくらいにして、本題に入りますね。(笑)

 E-Learn 2004とは直接関係のないお話ですの。(汗)

 「大統領選挙の前日にワシントン国際空港に降り立ったあんたが悪い」

 といわれれば、それまでの話なのですが(だって、学会に申し込んだときはまさかそんなことになるとは…涙)。

 過去のいつの記憶をたどってみても、思い出すのは活気にあふれた米国の空港ですが、今回はかなり違う印象を受けました。

 とくに入国審査を待つ数百人の列は、(到着したのが午前9時半だったとはいえ)薄暗い地下に長時間、放置されました。ようやく職員が現れたかと思いきや、今度は一人ひとりの尋問にこれまたすごく時間がかかりました。それは、両手人差し指の指紋と顔写真を一人ずつ登録させられたからなのです。

(以前は、長期滞在者のみが対象だったのですが、9月30日から、法律が変わったそうです。)

 イライラしても仕方ない、と機内に持ち込んだ本を読みながら過ごしていたら、ようやく自分の番が回って来てました。覚悟を決めて前に出ると、

 入国審査のときって、パスポート番号から本人の職業など、個人情報が表示されるシステムになってるのかしらねえ?

 検査官がなにか入力したあと、少し驚いたように、

 「教員? 教員がこんなところまで、たいへんだねえ。」

 と気の毒がられてしまいました…。

 え?

 予想外の質問だったので、とっさに、

 「仕方ないでしょう。」

 と、(ほんのちょっとだけ)悪態をつくのが精一杯でしたが。

 その後、いよいよ指紋の登録となったわけですが、私の指紋って薄いのか、指が乾いていたのか、なかなか取れなかったみたいなのです。

 だいたい台が首ほどの高さにあるんだから、そもそも指先にそんなに力は入らない体勢だったのですが、検査官にぎゅーっと指をつかんで押さえつけられのは、なんとも、苦々しい瞬間でした。

 なにも、悪いことしたわけじゃないのにね。

 あんな屈辱的な入国審査は、生まれて初めてだったけれど、日本にいる外国人の中には、同じような体験をした人たちが、きっとたくさんいるのでしょうね。

 先日も、あるベトナム人女性が、手足を縛られたうえに布にぐるぐる巻きにされて強制送還されたという記事が、手首足首の赤く腫れ上がった本人の写真と一緒に新聞に掲載されていました。

 そんな事態になるまでには、なんらかの経緯があったのだろうとは思うけれど、それにしても、女性一人をベトナムに送還するために、そこまでする必要があったのだろうか?

 権力って、こわいですね。
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by tomac | 2004-11-26 18:56 | eラーニングあれこれ

■ローカルなお話

 私は、テレビはあまり見ないほうだと思いますが、先日たまたま、さんまの番組をなんとはなしに見ていたら、ゲストの槙原敬之が高槻の出身だという話を聞いて、なにやら突然、親近感が沸いてしまいました。(笑)

 その勢いで、番組中に紹介された新アルバムを購入したのですが(笑)、これが今やお気に入りとなりまして、しばらくの間、CD一枚を堪能できました。

 その勢い続きか(?)、平井ケンの新曲のさびの部分だけをちらりと聞いて以来、通して聴いてみたくなって、最近、発売されたアルバムをまたまた購入しました。

 CDなんて、めったに買わない私としては、記録的な頻度です。(笑)

 ちょうど大学の生協で、CD20%オフのセール中なので、ついつい財布の紐がゆるむのかもしれませんが、

 「このあいだの槙原敬之(のCD)はどうでしたか?」

 と尋ねられて、その話題で盛り上がったところ、

 なんと!

 彼の実家って、私の自宅のすぐ近所なのだそうです!

 それをきいて、ますますマッキーファンになってしまったという、ローカルで、ミーハーな出来事でした。(笑)

 ちなみに、

 テレビは見ないといいつつ、サスペンスは好きなので、毎週木曜の「黒革の手帳」は楽しみにしています。

 「白い巨塔」にはじまって、「逃亡者」、「黒革」とリメイクにはまっているのですが、やっぱり名作はストーリーがしっかりしていますね。
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by tomac | 2004-11-25 18:29 | 日々の出来事

■映像ブログ

 ブログをはじめて、はや一ヶ月が過ぎましたが、少しずつコメントやトラックバックをつけていただいて、それなりにブログらしくなってきました(笑)。ありがとうございます。

 ブログって、いろんな可能性があって、面白いツールだなあ…と実感する今日この頃ですが、最近はとくに「映像ブログ」に興味をもっています。

 もしも、ブログにJPEG画像を投稿するようなお手軽さで、映像クリップも投稿できたら、表現の幅がぐっと広がるので、ますます授業で使ってみたくなるのです。

 ちょうど東通産業主催のeラーニング・フォーラムの掲示板で、このことが話題になっていて、ブログのことを最初に教えてくださった江原さんから、専門的なご助言をいただいています。

 当初、私は「学生がもっている」→「ケータイで撮影できる」→「ケータイで動画編集する」という発想しかできなかったのですが、この場合、ケータイの撮影機能や通信費がハードルとなっていました。

 ところが、

 「USBカメラのほうが手軽では?」

 というT先生@京都外大のアイデアにより、なんだか、一気に現実味を帯びてきました!

 たしかに、USBカメラなら数千円で買えるし、MSNメッセンジャーなど、ビデオチャットは、
いまどきの学生たち(とくに総合情報学部の学生たち)は、みんなやっているようです。

 というわけで、

 ただいま「映像ブログで遊んでみたい~!」という好奇心でいっぱいなのです。(笑)
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by tomac | 2004-11-24 17:50 | 牧野ゼミ(表現活動)

■国語教育とコミュニケーション能力

 京都外大のT先生が、国語科におけるコミュニケーション能力の育成にチャレンジしている小学校の取り組みを紹介していらっしゃいます。

 そういえば…と思い出したのですが、1996年、大学院留学から帰国した直後、学部時代のゼミ主催のフォーラムにて、多くの先輩方(国語の先生たち)に向けて、日米のスピーチ教育の話をさせていただく機会がありました。

 当時はちょうど国語科にディベートが取り入れられたりして、言語表現教育が注目され始めた時期でしたが、講演のあと、(言語表現教育で有名な)兵庫教育大学大学院に内地留学されていた先生から、こんな悩みを打ち明けられました。

 「私の授業実践を観察したドイツの研究者から、『あなたの実践は、スピーチ教育ではなく、語りですね」と言われたんですが…。」

 なんとも象徴的な出来事だったなあ、と今は振り返ることができますが、当時は、それが何を意味しているのかをきちんと説明することができませんでした。

 いずれにせよ、T先生の報告を読ませていただく限り、同じようなことが、現在の国語教育の現場でも試みられているのではないか?という気がします。 

 さて、

 先週TV番組「ブロードキャスター」を久しぶりに見ましたが、そこでも大学生のコミュニケーション能力の重要性が取り上げられていましたし、最近は本当に「コミュニケーション能力」が注目されていますね。

 ただ、「コミュニケーション能力」といっても、あまりに漠然としてるので、私は最近、「メッセージの能力」と「メディアの能力」という言い方をしています。あえていうなら、その時々の文脈にふさわしい方法で、この二つの能力を統合できる能力こそ、「コミュニケーション能力」と呼ぶべき能力ではないかと考えています。

 日本では、漢字という文字(メディア)を取り入れた古代以来、ずっとずっとずっと、身体で覚える「メディアの能力」が評価され続けてきたという歴史があります。

 コミュニケーション能力に対するこの評価観は、現代社会にも着実に受け継がれていて、身体論に基づく齋藤孝さんのメソッドが広く受け入れられているのも、そういう土壌があるからでしょう。齋藤氏は、いわば、明治以降の近代化が否定してきた江戸以前の学習文化を発掘しているのです。

 それは、もちろん守られるべき伝統であり、後世に伝えていかなければいけない財産です。

 けれども、あまりにも多くの場面で、「メッセージの能力」が置き去りにされたまま、「メディアの能力」が一人歩きをしている現実に、私は強い問題意識を抱いています。

 国語科教育において、日常生活における言語能力の育成という試みは、戦後から実に半世紀以上も続けられているのです。にもかかわらず、今なお確実な成果があげられずにいるのは、いったいなぜでしょうか。

 私は、こう考えています。

 「メッセージの能力」とは、自分が発信すべきメッセージを生成し、他者との相互作用に参与しながら、建設的な議論を共同構築していく能力です。これは決して、普通に生活していれば自然に身に付く能力ではありません。

 国語の先生も例外ではなく、一部の天才肌を除けば、誰にとっても、しかるべきサポートを受けなければ、開拓できない能力なのです。

 私は、教員養成学部(国語科)を卒業しましたから、国語教員の免許なら、高校(一種)、中学(一種)、小学校(一種)をもっています。しかし、大学時代にそういう訓練を受けた覚えはありません。

 はたして、今日どれだけの現場教員がその機会を与えられているのでしょうか。

 まず、教師が自らの「コミュニケーション能力」と向き合い、そのプロセスを対象化できるようにならない限りは、他者を支援したり、有効な学びのプロセスを設計するのは、難しいのではないでしょうか。

 しかし、逆にいえば、そこから出発しさえすれば、あとは自ずとついてくるのではないか?と楽観視しています。
 
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by tomac | 2004-11-22 17:21 | コミュニケーション能力って

■トラックバック

 大学院のYさんが、「トラックバック」してくれましたが、その機能が今ひとつよくわからない私としては(汗)、とりあえず、試しに、「トラックバックのトラックバック」(?)をしてみます。(できてるのかな…?)

 要するに、投稿文と投稿文をつなぐ仕組みということのようですが。

 さて、Yさんのブログでは、自分の身体をPCにつないで実験している教授の話が紹介されていますが、ということは、将来的には、脳とPCをつなぐということも可能になるのでしょうね。

 とても恐ろしい悪用の方法が考えられる反面、障害を抱える多くの人にとっては朗報ではないのでしょうか。

 今朝ちょうど、「痴呆症」に代わる用語として「認知症」が有力だという記事を読みましたが、

 アルツハイマーをはじめとするこの病気によって、損なわれる機能(たとえば記憶)を補うことができるとしたら、それ以外の健全な機能とのバランスが保たれて、併発する心理的な症状が軽減されるのかもしれません。

 脳とPCをつなぐ、ってきくと、ぎょっとするけれど、糖尿病の人がインスリンの点滴を腰につけたり、大腸を切除した人が人口肛門をつけるのと同じことです。

 ひょっとすると、近い将来、小型のPCポケットを脳につけることがそれほど珍しくなくなるのかもしれませんね。

 ちなみに、神経学者のダマシオによれば、思考の能力と、それを言語に翻訳する能力は別だということです。

 これには、私自身、コミュニケーションにおけるメッセージ伝達の過程を研究してきて、実証的にも、実感としても、賛同します。

 仮に、私の脳の言語野が損なわれて、失語症になったとしたら、もちろんリハビリで回復できる部分もあるだろうけれど、それさえかなわない状況に置かれたとしたら、自分の脳がつくった思考イメージを、言語に翻訳してくれるツールがあればいいのに、と願うことでしょう。

 できる限り、そういうことにならないように、今日もまたプールへいって、せっせと脳に酸素を送ります。(笑)
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by tomac | 2004-11-20 18:11 | 日々の出来事

■とりあえず2本

 11月末の締め切りが迫る原稿のうち、とりあえず2本が形になりました。

 ふ~~ これで、だいぶ気持ちが楽になりました。

 あ、そうそう。

 今朝の朝日新聞に、昨日の話題にピッタリの記事が載っていました。

 「教会、巨大集票拠点に」

 くわばら、くわばら… ですな。
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by tomac | 2004-11-19 20:54 | 日々の出来事

■米国大統領選挙と倫理的価値観

 「ブッシュの勝因は倫理的価値観」という話題が相変わらず新聞を賑わせています。

 たまたま選挙の前日、当日、翌日と、ワシントンDCの郊外のホテルにいた私は、
現地のテレビ報道をさんざん見たので、こうした記事を読むたびに、そのシーンがよみがえります。

 その中で、ある評論家のコメントが最も納得のいくもので、印象に深く残っています。

 「投票者の世代が若くなるにつれて、人工中絶や同性結婚に寛容な立場の割合が増えるので、今後、世代交代が起きれば、民主党にも逆転のチャンスがある。」

 という一言ですが、「倫理的価値判断」と呼ばれるものの儚さを物語る台詞だなあ、とつくづく思いました。

 ブッシュ大統領を支える米国福音主義は、(西欧に比べて)失敗の経験が乏しいせいか、若さゆえの原理主義的な傾向が強いですよね。今回の選挙はそれがとてもわかりやすい形で現れた結果だったのではないでしょうか。

 キリスト教の歴史は、奴隷制度や女性差別など、人間のもっとも弱く醜い部分を、権力者たちが、聖書の言葉を用いて正当化してきた、という過ちの繰り返しです。

 時代の変遷とともに、これらが緩和されてきたのは、人々の差別意識が解消されたというよりも、率先して差別をしていた人々が、この世からいなくなったというだけのことでしょう。人間の心の奥にすむ闇は、悲しいかな、そう簡単にぬぐいさることはできないようです。弱さや醜さを隠すことができても、克服することはできないのかもしれません。

 けれども、おそらく、あと100年もすれば、「一世紀前には、こういう差別が当たり前だったんだよね~」といって語られることだろう、と私は想像しています。

 神さまを思うひそかな信仰心と、自分の価値観を絶対化する宗教心は、似ているようで、
ぜんぜん違う。

 聖書の中には、いろいろな言葉が含まれているけれど、時代の変遷とともに塗りかえられる価値なんて、「真理」だとは私には到底思えません。

 にもかかわらず、

 時間と空間を超えて、永久に色あせない「真理」もまた、そういう混沌とした中に、神の奥義として隠されているような気がするから、不思議です…。
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by tomac | 2004-11-18 20:58 | 日々の出来事
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