コミュニケーション能力と学び(覚え書き)

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■近未来の卒業研究

第1期生の卒研発表会が無事終了しました。手取り足取りの指導があるわけでもなく、参考にできる前例もない中で、メンバー全員がよくここまでがんばったなあ…と思いました。

おぼろげだったマルチメディア作品のイメージがゼミ生の手によって具現化されたとき、まるで近未来の卒業研究を見せてもらったような驚きと感動で心が震える思いでした。

第2期生、第3期生にとっては、何とか追いつき、さらに追い越したい目標ができました。
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by tomac | 2006-01-31 19:26 | プロジェクトいろいろ

■卒業研究の発表会

明日は、ゼミの第1期生が「卒業研究としてのマルチメディア作品」を発表します。

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●卒業研究発表会の課題は、次の通りです。

・論文の形式は概要(A4×2頁)の時点ですでに仕上がっているはずなので(そうでなければハンコウ押しません)、それをそのままスライド化するというよりは、自分の主張を納得させる「マルチメディア作品」を完成させてください。

・試行錯誤の結果として、論文のスライド化に落ち着くことはあるかもしれませんが、論文の形式からあえて逸脱することでさらに説得力が高まることも十分にありえます。
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さてさて、どんな作品が登場するのでしょうか? 

◆1月31日(火) 関西大学 高槻キャンパス(E棟101) 12:30~17:30
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by tomac | 2006-01-30 17:13 | プロジェクトいろいろ

■スペインの国際学会

のんきに構えていたけど、ふと気づいたら、のこり一ヶ月を切っていました! ひ~っ

2月末にスペインの国際学会映像ブログの発表をしてきます。去年9月(教育工学会)からさらに時間をかけてデータ分析したら、いろいろ興味深い考察が得られました。審査員の反応も予想以上に肯定的だったので、本番のプレゼンもがんばりたいです。

めんどうくさくて頭を抱えてしまうのが旅行の手配なのですが、今回は同行する大学院のMさんにお願いできたので、とても助かりました。海外経験が豊富で、スペイン留学の経験もあるMさんなら、眠っていても連れてってくれそうで安心(笑)。というか、なにもかもすべて一人で準備する旅はもう疲れ果てたので(歳ね…)、旅は道づれが楽しみです。
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by tomac | 2006-01-27 17:38 | eラーニングあれこれ

■対話デザイン・プロジェクト(2005)→先輩TAたちの存在

対話デザイン・プロジェクトの特徴の一つは、「講師と学生の力関係」にあると考えています。初年度は、「知の権威としての講師」と「謹んで知識を受け取る学生」という関係性をとにかく崩すことからはじめました。しかし、力関係というのは実はいろんな利害関係があって成り立っているので、それを壊すというのは一筋縄ではいきませんでした。

3年間の試行錯誤を経てたどりついたのが本年度の形ですが、「受講生」「ゼミ生」「講師」「ブログを見ている第三者」のほかにもう一つ重要な役割として「TA」(ティーチング・アシスタント)の存在がありました。本来は大学院生にたのむのですが、昨年度の経験者という立場で4回生の二人に時給を支払って3回生の相談役を勤めてもらいました。

当初は、3回生が私(講師)に相談に来る前に、TAとの話し合いを通して質問を焦点化してきてほしいというねらいがありました。もちろんこの目的は十分に達成されましたが、効率化のための労働力としての役割以上に、先輩としてのTAたちの存在が、3回生にとって、道しるべであると同時になんとかして越えたい目標となっていたようです。
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by tomac | 2006-01-25 16:53 | 牧野ゼミ(対話デザイン)

■対話デザイン+映像ブログ→フィンランド

●D3さんのコメント: このプロジェクトは、今までにない新しい形の授業のように感じました。「講師」「受講生」「ゼミ生」「Blogを見ている第三者」の4つの構成から成立されており、双方向性の高いRPG的要素が高いですね。

今回ブログを使用したのは、昨年度の受講生から「受講生と講師の対話が少ない」という声が寄せられたことがきっかけです。また、水面下で行われる「ゼミ生と講師の対話」は受講生には見えにくいので、せめてもの情報開示という意図もありました。ただ、学期中はブログに対する受講生の反応はなく、期待したほどの効果はないのかな?と感じていました。

ところが、ここへきて(学期終了後)、D3さんの参加によって「Blogを見ている第三者」という要素が加わりましたよね。授業の開示(ガラス張りの教室)というのは、春学期の「映像ブログ・プロジェクト」と同じ展開で、その意味では、結果的に「対話デザイン」と「映像ブログ」が合体したような形になりました。今思うと、今回ゼミ生がよくがんばってくれたのは、彼らが「映像ブログ・プロジェクト」を通して不特定多数に対する自己開示の経験を積んでいたということが関係していたのかも?

いずれにせよ、あからじめ計画された参加者以外の「予期せぬ外部人材の介入」による学びの活性化というのに、とても興味があります。さらにフィンランド滞在中市民社会を巻き込む規模で展開してみたいです。市民が学ぶ土壌はすでにある社会なので、アイデアに賛同してもらえさえすれば、十分に実現可能な構想だと思っています。
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by tomac | 2006-01-22 13:28 | 牧野ゼミ(対話デザイン)

■対話デザイン・プロジェクト(2005)→受講生の声(その5)

そもそも対話デザイン・プロジェクトの目的は、大学の講義科目において、がんばった人ががんばった分だけ報われる評価システムの追究にありました。

●最初はとても不安で、レポートを書ける自信もありませんでした。しかし、フィードバックで自分のレポートが紹介された時、うれしさと自信を得ることができました。レポートを書くことによって文章力もつくと感じ、すべての講義に出席しました。頑張った分だけ評価されるのがうれしくて、自分なりに精一杯頑張ることができました。他の授業では、出なくても最後の授業だけ出て、ノートは誰かにもらってとりあえず単位を取るという友達がとても多いです。私も休んだノートを借りることがありますが、貸す機会の方が多く、授業に出なくても単位を取る友達に不満を感じたり、うらやましく思うこともありました。この講義は一人で受けました。友達のいない不安もありましたが、すべての授業に出席し、レポートを出すことで、達成感と自信を得ることができました。

今回はさらに「自己との対話」という新たな成果が得られましたが、私も参加者の一人だったと気づきました。

●先生自身が毎回反省しているのに何より驚いた。大学の先生や政治家などは自分の意見に固執して他人の意見に耳を傾けないイメージばかりだったが、牧野先生みたいな先生ならついていく気持ちになりました。このように、先生、ゼミ生、生徒がうまいこと意見を回すことができて、お互いが反省し、学ぶことができるのは、みな充実感を持つことができるとてもよいことだと思うし、自分の糧になったと思います。

とはいえ、課題は山積みです。とくにシステムや教材は改善の余地が大いにありそうです。

●大学に入り、授業に出ていなくてもノートや資料さえ集めれば毎回授業に出ていた人と評価に差が出ないシステムに対し不満を抱いていたので、先生の「小レポート」方式は本当にありがたかったです。内容については難しかったけれど、ゼミ生による解説をもりこんでくれたので分かりやすくなったと思います。ただ、レポートのために30分というのは残念でした。レポートを20分くらいにしたら、もう少し深い解説が聞けたのではないかと感じました。

●ゼミ生のフィードバック、先生の講義、ゼミ生の命題、の時間に分かれているが、何とかして先生の講義の時間を増やしてほしいと思った。ゼミ生を間に入れた授業スタイルはいいものだと思うが、90分という時間をそれぞれに分けると少なくなってしまう。特に命題に対して答えるのは講義内でしか受けつけないというのもわかるが、もっと講義をうけたいので別の時間でしてほしい。

●大学では、家なり学校なりで空いている時間を使って自分から学ばないといけないとは理解しているが、テキストも使用しておらず、コミュニケーションという解釈の仕方が多岐に広がる分野で、どのように学んでいけばいいのか判断しかねるので、自己学習を行う際に良いテキストや、良い方法などを教えてほしかったです。

●自宅でなかなか復習することができなかったことが悔しい。命題にはいつも真剣に取り組んだつもりだ。難しいことも知識を得て自分で考えていかなければいけないと思うようになった。講義に関しては資料プリントも分かりやすく、とても丁寧に説明されていたので、すごく聞きやすかったです。ただ、抽象的な内容なので、もっと時間数が欲しいと感じました。理解を深めたい人のために参考となるものの紹介や課題などがあってもいいかもしれないと感じます。

●私たちの視点で、授業を理解しやすくしてくれているはずのゼミ生が、より分かりづらくしていることも数回ありました。ゼミ生にとっても難しい内容を私たちにプレゼンするということは、自分たちもよく分からないまま、私たちに伝えているということで、分かっているはずがそうでなかったのかと混乱してしまいました。私にも、ただ出てるだけの時があったという落ち度はありますが、ゼミ生のプレゼンに波がなければ、よりよい講義になるように思います。

ゼミ生に命題をお願いしたのは、自分たちの命題のほうがフィードバックのやりがいも大きいだろうと考えたからでした。水面下では、ゼミ生の命題が講義内容から逸脱しないようにかなりの時間と労力を費やしましたが、その結果、講義の準備がおろそかになるという本末転倒な点があったことを否めません。いま冷静に振り返ると、自分の失敗のせいでゼミ生を不当に傷つけてしまった昨年度のトラウマが、時間配分の偏りに起因していたのかもしれません…。建設的なご意見ありがとうございました。次回の参考にさせていただきます。
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by tomac | 2006-01-20 19:18 | 牧野ゼミ(対話デザイン)

■対話デザイン・プロジェクト(2005)→受講生の声(その4)

今日は「コミュニケーション論」の試験でした。その1の3番目に紹介した学生から、答案用紙の最後に「感想のつづき」が添えられていたので、そちらも紹介します。

●秋学期まるまる使って得た答えがこれです。正直なところ私には全体像どころか(セクションごとの)つながりでさえ、よく理解できていないんじゃないのだろうか。私には1つ1つの講義のつながりがいまいち理解できず、別々のものとして考えてきました。理解力がない自分がなさけない。講義の1/3くらい寝てたからですかね。自業自得です。

たしかにきれいな全体像を描くことはできなかったかもしれませんが、少なくとも、学期中はがんばって出席を続けてレポート点を積み重ねた結果、試験の部分点と合計すれば、十分に合格ラインに届きます。さて、以下は先日の感想に対するコメントの補足です。

帽子の件を指摘してくれたのは私にとってありがたいことでした。私が言うと、おばさんの説教みたいですが、同じ学生からの指摘なら、ゼミ生も真剣に受けとめざるを得ません。ただ、彼らなりの話し合いの結果として、改善された点を見守ってほしかったです。

C棟の愚痴の件も同様に、「不快な思いをして、学習意欲が低下した」と率直に知らせてくれていたら、たぶんゼミ生たちは、自分たちになりに考えて改善すべき点を話し合っただろうと思います。しかし、残念ながら今回は、そのチャンスは与えられませんでした。

とはいえ、おそらくゼミ生の中にはこのブログを見ているメンバーがいると思うので、私があえて言うまでもなく、最初の感想を読んだ時点で彼らなりに思うところがあるはずです。本当はこういう対話のためにブログをもっと活用できたらよかったのにな…と思いますが、まあ、学期のおわりが本当のスタートなのかもしれませんね。

PS: 受講生のみなさんの自己評価の紹介はこのあとまだ続きます。採点のためペースは落ちると思いますが…
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by tomac | 2006-01-18 17:21 | 牧野ゼミ(対話デザイン)

■対話デザイン・プロジェクト(2005)→受講生の声(その3)

学外のD3さんから、第三者の視点として、たいへん貴重なコメントをいただきました。
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その1とその2をどちらとも、授業と自分を対比して客観的に授業評価できているように感じました。この授業に対して肯定的、否定的にどちらにしろ受講生が自分自身と対話して評価できている事も、対話デザインの成果のように感じました。
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ちょうど私も「対話デザインの成果」ということを考えていたところです。おっしゃるとおり、「授業と自分を対比して客観的に授業評価できている」という点では、肯定派と否定派のどちらも共通していますね。しかし、「自分自身との対話」という点では、どうやら個人差があるようだ…と感じ、印象が確信に変わったのは、次のような「自己評価」を読み返したときです。

●この授業をふりかえってみて、あまり理解を深められなかったと思う。それには多くの理由がある。まず第一に、この授業を知識を得るための授業と位置づけていた点です。もともと私は「絶対の正解のない授業」にあまり縁がありませんでした。なので、それに気づくまでに多くの時間を使ってしまいました。また、他の理由として、授業のすべての時間を使えなかった点があります。遅刻とかはできるだけしないように心がけているつもりですが、どうしてもしてしまいました。でも、それらの体験は自分に多くの事を教えてくれた。それによって自分自身にプラスになったと思う。

●半年を振り返ってみると、成長していた点と、反省点がある。まず成長した点は、出席した講義の命題には、時間が多少かかっても、具体例を見つけだし、相手に伝わる文章を書くように努力した。その結果として、モニターで私の文が紹介された。今までこのようなことはなかったし、文を書くのが苦手であり、他者からの評価もいいものではなかった。このことはこの講義に集中して取り組んだ結果にあると考える。次に反省点は、命題に対する視野の広さにある。一つの命題が出題された時に私は、ゼミ生の前おきが必ず真へ誘導するものであったがゆえに、必ず偽の考えを見つけることに力を入れ過ぎてしまった。その結果、命題に対する視野が狭くなってしまった。この点が反省しなければならない点である。

●正直、私はこの授業に沢山甘えを出していました。大学まで2時間の通学、前日は6限(19:30)まで授業。この授業を受けていくうちに、最初の30分は前回の報告だと分かったので、意識的に遅れてくるようになったのです。したがって、出席に対する私の評価は良です。次に授業内容ですが、最初の方(セクション1やセクション2)はなんとなくでも先生の授業を聞いて理解はしていました。先生の授業で△の理解度、後でゼミ生の命題を聞いて○の理解度にup…といったカタチでした。しかし、セクション3になって情理や倫理というイメージしづらいトピックになってしまい、おまけに先生の講義も私にとっては抽象的で全くついてゆけませんでした。だから、先生の授業で小さな×、ゼミ生の命題を聞いて、やっと△になる理解度でした。ゆえに私の授業に関する自己評価は可です。トータルすると可ぐらいですね。今日は早起きしたので、冷静に自分を振り返ることができました。

■講師からのコメント: 自分を省みていかに受け身だったか気づくという自己評価なら昨年度にもありました。しかし、こういう冷静かつ明晰な「自己との対話」が形となって現れたのは本年度が初めてです。D3さんの「本当の成果が出てくるのは、何日後、何ヵ月後、何年後になるかもしれません」というご指摘にうなづくと同時に、すでにその出発点に立っている人たちがいるような気がするのです。

●一回欠席してしまいました。この授業に参加しようと積極的に心がけてはいたけれど、完璧ということにはなりませんでした。私語や携帯を鳴らすことも一切なく、先生の話をよく聞いていたし、ゼミ生の活動も楽しむことができた。しかし、一時間半という時間の範囲で全てを理解することは無理で、家に帰ってからブログを見たり、前回の授業の内容と組み合わせてみるなど、復習という自己責任は重いと改めて感じました。

●私の反省点は、周りの人との対話をあまりしなかったことです。講義内容でもあったように、対話によって説得したり、されたり、倫理が生まれる。なら、私に足りなかったのは、その部分ではないだろうかと思いました。しかし、この講義に参加して、そのことに気づけたことは自分にとって意味のあることだと思います。

●ただ正しいことを言えばいいのだと思っていましたが、それだけではダメだということがわかりました。毎回授業のレポートでは、講義内容を理解しようとしていましたが、言葉などが難しく感じて、理論で真偽を決めるのではなく、自分の感情で決めてしまったことが何回かあったので、もっと言葉の意味から理解していかなければならないと思いました。

●授業が進むにつれ、内容が難しくなり、ちょっと聞き逃すと、ついて行けなくなって、正直な所、がんばって理解しようとしないときもあった。でも、聞く耳をもたなくなったら、ますますわからなくなったので、聞く耳をずっと持てなかったことに後悔している。

●授業内容の理解度は半分くらい。よくわかった時もあれば、ほとんどわからない時もあった。わかったような、わからないような、あいまいな時もあった。それに関しては、毎日の復習がなかったということなので、これからは実行していきたい。他の反省点は、わからなくなったとき、すぐにあきらめてしまっていたので、できるだけ粘って、なんとか一つだけでも理解して帰ろうという気持ちをもっていきたい。
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by tomac | 2006-01-17 13:39 | 牧野ゼミ(対話デザイン)

■対話デザイン・プロジェクト(2005)→受講生の声(その2)

秋学期の水曜1限」とは最悪のコマのようです。水曜は開講科目が少なく、この授業のためだけに神戸・和歌山・奈良・滋賀から2~3時間をかけてやってくる学生が少なくありません。寒さが深まり足が遠のくのはやむをえませんが、欠席や遅刻を悔やむ声は予想以上にたくさん寄せられました。

●今日が最後の授業というのが、少し悲しく思える。なぜなら、先生が僕たち生徒のことを考えて、わかりやすくするにはどうすればいいか?とかを考えてくれていたのに、僕は安易な態度で授業に参加していた。だから申し訳ない気持ちと、まじめに受ければよかったと思う後悔の気持ちで今いっぱいです。大学はたくさんの分野や構成の授業があるが、生徒のことをこれだけ考えてくれている授業の構成や先生の気づかいを受けたことが今までほとんどなかったので、授業全体であったかみを感じて勉強ができました。

●大学には勉強をするために入学したわけだが、いつの間にか単位をとることに気持ちがいってしまっていた。勉強=単位取得ではないのに。この授業を受けて、勉強したい、いろいろなことを学びたいという気持ちを再び持つことができたと思う。それは毎回の授業で考え、自分の考えを述べる必要があったからだ。ゼミ生の説明も新鮮で楽しかった。他の授業でも、そういった取り組み、工夫をしてくれたらなぁと思う。一番大事なことは、当然、授業を受ける側の姿勢ではあるけれど。

●私は今2回生で、この講義をとるのは2回目なのですが、今回は少し欠席もあったものの、去年と違って積極的に講義を受けられたと思います。するとやはり、話を真剣に聞いていると、この内容はたいへんおもしろく、日常生活におけるコミュニケーションにも十分役立つことがわかり、さらにこの分野に興味がわきました。コミュニケーションは人が生きていくのに必要不可欠なもので、誰もが行うあたりまえのことです。そのコミュニケーションを分析し、根底から考えるこの授業は、自分のコミュニケーションのやり方を見つめなおすいい機会になりました。

■講師からのコメント: 「その1」で紹介した否定的なレポートと比べると、なぜこれほどまでに極端な違いが現れるのだろう? と思わずにはいられません。人それぞれ環境も価値観も違うというのはその通りですが、それにしても、同じ機会を体験しながら受け止め方にこれほどにも差がでるのは、「自己評価」ということに関係しているのかもしれない?と思い始めています。(つづく)
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by tomac | 2006-01-16 20:45 | 牧野ゼミ(対話デザイン)

■対話デザイン・プロジェクト(2005)→受講生の声(その1)

最終回に受講生のみなさんに提出してもらった自己評価感想を読み終えました。昨年同様シリーズで紹介していきます。肯定的な内容がほとんどでしたが、否定的な内容も約2%(137人のうち3人)含まれていました(ごく少数の批判は健全さの目安です)。

●正直に言うなら、「この講義をとったのは失敗だった」といえる。誤解のないように言っておくが、これは私の嗜好の問題であり、講師の責任ではない。私に「コミュニケーション論」は向いていない。「自分には合わない」ということである。講師の説明は的確だったと思うし、わかってもらおうという理解も高く評価できる。しかし、魚が陸上に住めないように、いくらわかりやすくしても自分に合わないものも存在する。講師には申し訳ないが、これ以上この分野を学ぼうと思うにはまだ至っていない。

●授業が難しくて意味がわからなかったので、朝早くから行く事をサボるのが多くなり、よけいにわからなくなる悪循環に陥った。遅れて来ていたせいもあるかもしれないが、講義中に出てくる言葉は意味のわからないものばかりで、まるで知らない国の言葉を聞いているようだった。おそらく単位は落とすだろうが、再受講をするつもりは一切ない。無駄な時間を過ごした。

●そこそこ出席もしてたし、レポートもだいたい5点とれてたので、自己評価するならば、良い点をあげてもいいんじゃないだろうか。ただし、講義中はよく寝ていましたけどね。水曜は徹夜明けで来ることが多かったので眠気との闘いでした。ここから全体感想です。この講義での満足度は0です。マイナスをあげてもいいくらい。牧野先生の講義はあれですか? やっぱり自己満足のためにやってるのですか? なんでもっとわかりやすくできないんですかね。ゼミ生のフォローなしだと何もわかりませんよ。ゼミ生はゼミ生でうっとおしいですけどね。もちろんゼミ生全員が嫌いなわけではなく、一部の方だけですが。まず1回目か2回目にゼミ生が出てきた時に帽子をかぶってたことが気に入りませんでした。前に出るなら帽子くらい取るのが常識だと思いますよ。このことに関しては私の考えが古いだけかもしれませんから少々の不満はありましたが、別に嫌いというほどでもありませんでしたよ。しかし、ゼミ生の会話を聞いてから印象は最悪です。レポートでC棟に残っていた時のことですが、目の前でゼミ生の方たちがパワーポイントを使って講義用のファイルを作成していました。その時に聞こえてくる会話は「だるい」だの「やりたくない」だの講義に対する不満ばかりでした。なんでこんなことばかり言っている人たちに教えてもらわなければらないのでしょうか。その回からこの時間のやる気は0です。テキトーにゼミ活動してて単位もらえるんだから、牧野ゼミはステキですね。嫌味ばかりになっちゃった。

■講師からのコメント:帽子の件は私も気になっていたので、指摘がなくてもゼミで取り上げるつもりでしたが、私が何か言うまえにすでに彼らは、レポートのすみに書かれていた指摘に気づいて自分たちで話し合っていました。その後、本人はぎりぎりまでかぶっていても発表の直前に帽子を脱ぐようになりましたが、気づきませんでしたか? それから、ゼミ生の担当部分についてはすべて事前にチェックしました。C棟で愚痴をこぼしていたのは、容赦のない厳しいダメ出しを受けて凹んでいたときだったのかもしれません(?)。 いずれにせよ、ゼミ生が責任を放棄していれば当然任せなかったと思いますが、結局は徹夜してでも本番までに改善してきてくれました。
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by tomac | 2006-01-15 20:40 | 牧野ゼミ(対話デザイン)
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