コミュニケーション能力と学び(覚え書き)

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■ことばとイメージ (あとがき) → 家族と遺伝子

健康にまさる財産はない」と言われますが、今年はこれが骨身に沁みました。

その財産と引き換えに手にしたものは、ひとつには、学位という小さな努力の証しです。自分では何も変わっていないと思っても、周囲の人の見る目が大きく変わったことを実感します。おかげで、不当に悔しい思いをしなくてすむようになったという意味では、ストレスの少ない生活を手に入れたといえるのかもしれませんね…(笑)

でも、健康という「命の財産」に比べたら、称号なんて取るに足らないちっぽなものだと、やはり思います。真に引き換える価値があったと思えるのは、家族という絆の強さを、たぶん生まれて初めて、学んだことです。

父は職人の家系で、母は農家の家系ですから、おおよそ学問とは無縁の家庭に生まれ育ちました。おまけに私の場合、後先を考えずに外国に飛び出してしまったので、研究職にたどりつくまで通常よりも時間がかかり、人脈づくりもゼロから始めなければならない自分の立場をうらめしく思ったものです。

しかし、この家族なしには自分の研究もありえなかったのだと、この歳になってようやく気づきました。シリーズ(その4)でも触れたように、母が「ことばの人」で、父が「イメージの人」だとしたら、自分は幸運にも「ことば+イメージの遺伝子」(というものがあるのかどうかは不明ですが…笑)を受け継いだということなのか?

とはいえ、単なる遺伝子を、ひとつの人格へと育てるためには、そのための環境が必要ですよね。おそらく、幼い頃から家族の一人ひとりと切磋琢磨してきた環境が、私にとっては何よりの「学びの環境」だったのだろうと思います。

私たち兄妹(兄と二人の妹)は、物心ついたときから父の仕事の手伝いをさせられました。日々の「お店番」は当たり前で、七五三のシーズンになると、近くの神社に店を出しては接客し、卒業アルバムのシーズンには、集合写真の現像から乾燥まで、流れ作業をこなしました。

ですから、「写真」といえば生活の糧、というか商いの道具でしかなく、だからこそ、この20年間は、まるでそれに抵抗するかのように「ことば」に偏った研究を続けてきたのかもしれません。でも今の私には、「写真」が、口下手な父にとっては、究極の表現なのだとわかります。

こうして、私にできる最大限の親孝行は、「ことば+イメージの人」を極めることだ、と思うようになりました。
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by tomac | 2006-12-29 11:43 | コミュニケーション能力って

■ことばとイメージ (その5) → やっぱりフィンランド

シリーズ(番外編3)にて触れた「動画メッセージの配信から動画メッセージによる対話へ」というのは、厳密にいえば、「動画メッセージを媒介とする対話」という意味でした。具体的な環境については、やってみないとわからないことも多いのですが、基本的なイメージは、映像ブログ2005の環境が原型になると思います。

一方、ebaraさんが教えてくださったYouTubeの環境はこんなイメージです。一人の発言(左図)に閲覧者がコメントをつける(右図)のは普通の掲示板と同じですが、文字による議論ではなく、映像による議論が可能となり、しかも、ビデオ会議のように時間を調整する必要はなく、いつでも好きなときに投稿できるのですから、これは画期的ですね~!

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実物はこちら




現時点では、投稿者が自分にカメラを向けて撮影する形が主流のようですが、さらに表現方法が多様化すれば(たとえば、フラッシュを使って…)、「ことば+イメージ」による議論の可能性は革命的に広がりそうです。 う~ん、楽しみだなあ。

ただ、この環境をそのまま利用できるかというと、「学びの環境」としてはいくつかの課題が残ります。率直にいって、ちょっと使いにくいかな…。それよりはむしろ、exciteの動画環境のほうが、私のイメージしてきた環境に近いような気がします。

まだ試していないので何とも言えませんが、YouTubeとexciteの動画環境の決定的な違いは「exciteの動画環境はブログが基盤である」という点です。これは、学習環境デザインを考えるうえで無視できない要素になるだろうと思います。

つまり、「ことば」なのか? 「イメージ」なのか? それとも 「ことば+イメージ」なのか? という視点だけでなく、「文字用の掲示板」なのか? 「映像用の掲示板」なのか? それとも 「ブログ+動画」なのか? という視点でも考えないといけないだろうと思うのです。…が、今の段階では、これくらいにしておきます。まだ何もしていないので、あんまり大きなこと言えませんから…

そういうことを見越したうえでexciteを選んだわけでは、もちろんありませんが、まるでexciteのほうが私のイメージに合わせて動画環境を用意してくれたかのようで、ありがたいことこのうえないです(笑)。そして、そのexciteを最初に私に紹介してくださったのがebaraさんだったということに不思議なご縁を感じますね。

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そうそう。ご報告が遅くなりましたが、2007年9月のフィンランド出張を決めました。在外研究のように1年間の滞在というわけにはいきませんが、共同研究そのものは当初の計画よりもスケールの大きなものになりそうです。その中で私が取り組むテーマは「動画メッセージを媒介とする対話」+「教師教育」@高等職業教育なのですが、いずれ詳しくお話ししますね。

ともあれ、今年は本当に思うようにならないことの多い一年だったけれど、実は、準備期間だった…ということのかもしれないな~ と、ふりかえっています。
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by tomac | 2006-12-25 15:16 | コミュニケーション能力って

■ことばとイメージ (おまけ) → フラッシュ入門講座

ただいま東京です。ひそかに?フラッシュ入門講座を受講中なのですが、ただのアニメーション制作ツールかと思いきや、奥の深さに驚いています。こういうソフトを易々と使いこなしている学生たちってすごいな~ …なーんて、ちょっと感動。

もっと感動したのは、講師の先生…というより、eラーニングに精通していらっしゃる取締役の方が、このブログをご覧になって私のことをご存知だった!ということです。自分の知らないところで、見守ってくださっている方々がいるんですね。

ちなみに、このシリーズの最終回は、もうしばらくお時間をください。ちょっとした思いつきで始めたシリーズのはずが、みなさんのご参加のおかげで、予想以上の深まりを得られたので、どういうふうに締めくくるのがいいのかな~ と構想中です。
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by tomac | 2006-12-22 09:01 | コミュニケーション能力って

■ことばとイメージ (番外編5) → 英語と教養と信頼関係

毎年恒例の年賀状は、私にとってかなり重要なイベントですが、そんな思いが伝わったのか、「ホームページに掲載されている写真を使わせてください」とお願いしたフィンランド人の彼は、想像以上に骨を折ってくださり、最後まで色調やサイズを気にかけてくれました。

フィンランド人の国民性なのかもしれませんが、フレンドリーとは必ずしもいえないけれど、こちらから声をかけると、とても誠実にこたえてくれる人たちです。こういうとき、多少なりとも英語ができてよかったな~と思います。今回は簡単なメール交換だったので、中学英語の文法知識があれば十分といったレベルでしたが、中途半端な知識では歯が立たないという場面に遭遇することも多々あります。これを端的に記述しているのが、本学(関西大学)の「とある総合情報学部生」のつぶやきです。

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私は高校3年間を普通科ではなく英語科という専門学科で過ごしたのですが、そこで卒業までお世話になった先生に「英語教育は真に日本語を理解するためにある」と言われました。"大陸間弾道弾"を意味する英単語を知っていたとしても、"大陸間弾道弾に関する知識"がなければ、ノドン・テポドンやMD構想に関する議論はできない、議論の内容を理解することはできても、議論に参加することはできない、と。また、ロリコンでない外国人が、発音の上手な小学生と、発音の下手な大学教授のどちらと議論したいかは、火を見るより明らか、だとも。だから、暇さえあれば読書して教養ある人間になれ、と。しかし、牧野先生が仰るように、"建設的な"コミュニケーションを図ろうとするなら、相手の言ってることが理解できるぐらいの文法や語彙は必要かなと思い始めた今日この頃です。
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つぶやきさんの恩師の方がおっしゃられたことは、本当にその通りだと思います。

私が大学院に留学したときは(→こちら)、すでに一年間の学部編入を経て、日常会話はほぼ問題がなかったにもかかわらず、最初の半年は、授業中に交わされる議論の内容は全く理解できませんでした。レポートも一定の水準を満たしていなければ受け取ってもらえませんから、当時は毎晩のように、大学のWriting Centerに通いました。本来は、作文の苦手な学生に対して、優秀な学生がアルバイトで添削してくれるサービスなのですが、足繁く通っているうちにチューターたちと友だちになり、添削そのものよりも、レポートの内容について議論するのが楽しみで、心待ちにしたものです。

コミュニケーションは、小さなことの積み重ねなので、その一つひとつに丁寧でないと、たとえ言語能力や一般教養があっても、そう簡単に信頼関係を築くことはできません。
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この写真は約十年前に撮影したものですが、私は修士論文の提出直後で憔悴しきっています。隣にいるのはWriting Centerの責任者を務めていた学生(当時4年生)で、私が最も信頼していた一人です。現在はなんと5児の母です(!)。彼女が専業主婦を選んだのは意外でしたが、家族写真の中心にいる姿は実に幸せそうでした。

いつか、博士論文を翻訳できる機会が与えられたなら、真っ先に彼女に読んでもらいたいと思っています。あの頃、たどたどしい英語で熱く語る私の話に、いつも熱心に耳を傾けてくれたから…
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by tomac | 2006-12-18 20:01 | コミュニケーション能力って

■ことばとイメージ (番外編4) → 映像時代の卒業研究

私が研究テーマの一つに掲げている「映像時代の卒業研究」について、もう少し補足しますね。(→関連部分は文末に)

まきのゼミでは、卒業研究として、最終的に2つの成果を提出していただきます。一つは、「卒研概要」と呼ばれるA4で2頁の論文です。ひとたび「議論の十字」が仕上がると、だらだら書くより2頁に収めることのほうが難しくなります。この作業を通して多少なりとも論文の体裁について学びます。もう一つは…こちらがメインですが…「議論の十字」のマルチメディア化による作品づくりです。どのような方法で、というのはメンバーにまかせていますが、第1期生の作品の中では、映像編集やアニメーション(Flash)を活用した事例が目を引きました。

とりわけ、「日本におけるヒップホップの変化:メッセージと共感」という研究テーマに取り組んだ古畑雄一さんの映像作品は、今年のオフィスアワーで、2回生たちを釘付けにした強烈な作品でした。たとえば、ゼミの申込書の中で、ある2回生は次のように述べています。

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牧野ゼミのオフィスアワーに行った際に、過去にゼミの先輩達が作ったモノを見せてもらったのだが、Flashや映像を用いて個人1人1人がしっかりとテーマについて表現出来ているなぁと凄く感じた。中でも映像で「ヒップホップの歴史」について発表していたモノには、映像自体のクオリティが高くて驚いたが、それだけではなく伝えたい事が明確に表現出来ていたと思った。現にヒップホップの事について何も知らなかった私があの映像を見て歴史を少しだけ学び感じる事が出来たと思うからだ。
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古畑さんの作品は、アーティストの商品から素材を借用しているため、ここでは公開できないのが非常に残念ですが、映像音楽が加わることで、こんなにも強いメッセージ性が生み出されるということを、説得力をもって、私に教えてくれました。

実は、その古畑さんは言語表現がとても苦手な学生で、彼とは合計3年間付き合いましたが、マラソンで言えば、いつもビリでゴールするようなタイプ…と思い込んでいました。が、実際には、最後の最後に大どんでん返しがあって、ゼミの宝となる素晴らしい作品を残していってくれました。

研究成果をマルチメディア化することの意義は、著作権保護のために、「単なる寄せ集め」と「独自の成果」の違いを学ぶというのはもちろんですが、何よりも、それぞれのメンバーが自分の強みを発揮できるように、表現の機会を均等にすることです。少なくとも、論文だけでは、言語能力に長けている者だけが評価されることになるので、それでは不公平だと思うからです。


----- Commented by ebara at 2006-12-13 13:26 -----
えーと、本題からどんどん脱線していきますが....

> 個人的には、「自分の作品」と呼ぶ以上は、最終的には他の人の借り物ではなく、
> 新しいものを生み出す創造力を身につけてほしいと願いますが…

最近流行のWeb 2.0では、「マッシュアップ」って言う言葉が良く出てきますよね。
この考えを応用して、無理やり自分のビデオ作品か何かを作ったら、
それはやっぱり、借り物になっちゃうんでしょうかねぇ......

----- Commented by まきの at 2006-12-13 17:56 -----
ぜんぜん脱線していませんから、大丈夫ですよ。ただ、私が答えを知っているわけではないので、以下に申し上げるのは私の考えに過ぎません。一つの意見として聞いていただけたら幸いです。

そのサービスやコンテンツが、デジタルであろうと、アナログであろうと、借り物は借り物だと思います。

職業柄、私にとって身近なメタファーは「論文」ですが、論文中の引用文は最後まで借り物であり、論文の執筆者のものには永遠になりません。最近とある学会のニュースレターにこんなコメントがありました。
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 なお、論文の引用の仕方に疑問を持つ場合があります。たとえば、「この図は、○を参考にして著者が一部修正したものである。」と書かれる場合がありますが、原著者の許諾なしにはできないと思いますので、注意が必要です。
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最初は信じ難かったのですが、他者の著作物を恣意的につくりかえてもいいという考えが蔓延しているとしたら、それは単なる「倫理の低下」であって、「新しい著作権の概念」などではありません。とはいえ、データの捏造や改ざんが問題になる今日、研究者に倫理を求めることそのものが難しくなっているのかもしれませんが…。

話をもとに戻します。

借り物としての引用文や図表をふまえたうえで、独自の論を展開できてはじめて「論文」として成立するのであって、よくありがちな「寄せ集めの卒業論文」は、本来、論文とはいえないのです。

ただ、その原因は、学生の能力の問題というより、指導担当者にあるのでしょう。論文とは、書き方を学ばずに書けるものではないからです。

これと全く同じことが、デジタルコンテンツにもあてはまります。「単なる寄せ集め」と「独自の成果」の境界線はどこにあるのか、ということを、きちんと学ぶ必要があるのだと思うのです。

今はまだ技術のほうが先行しているので、そういう議論はいつも後づけですが、今後、時間をかけて、検討されていくのではないでしょうか。

私個人は「映像時代の卒業研究」の追究を宣言しておりますし、映像表現教育について考える以上、そのあたりも視野にいれて、いずれきちんとご説明できるように準備していきたいと思っております。
----- 以上です -----

なお、このシリーズではこのあと、「番外編5」にて、英語教育に関する非公開コメントさんのつぶやきと、「その5」にて、「動画メッセージによる対話」に関するebaraさんのご質問をそれぞれ取り上げる予定です。
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by tomac | 2006-12-16 19:31 | コミュニケーション能力って

■ことばとイメージ (番外編3) → 21世紀の著作権

ブログのコメント欄にて興味深い対話が展開しているので(関連部分を文末に添付しています)、もう少し深めてみたいと思いました。

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実は、来年の年賀状にフィンランドの写真を載せたくて、友人に相談したところ、あるホームページを紹介してくれました。そこに掲載されていた作品を一目で気に入ったので、制作者にメールを送りました。

ホームページに掲載されている、あのきれいな写真を、友人や知人あての年賀状に使わせてほしいのですが、許可していただけるでしょうか? あくまでも個人的な利用に限り、それ以外の目的には使用しないことをお約束します。

すると、翌日には返事が来ました。

わざわざきいてくれて、ありがとう。では、その個人的目的に限って、今回だけは許可します。なお、必要であれば、もっといいものを用意することができますよ。

ぜひお願いします」と頼んだものの、1週間たっても音信不通だったので、このまま返事は来ないのかもしれないな…と思いかけた矢先、昨夜遅くにメールが届きました。

2日後には用意できます。本当はもっと早くするつもりでしたが、この週末にコンピュータが(また)動かなくなって…

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これこそが「21世紀の著作権」であってほしい。そして、この着想は今後の研究テーマ(動画メッセージの「配信」から、動画メッセージによる「対話」へ)にもつながります。

たぶん、制作者がほしいのはお金ではないと思います。もちろん、クリエーターが生きるための対価は保障されるべきですし、経営者の目的はまた別のところにありますが。

たとえば、ゼミのメンバーが作った作品を他の文脈で活用したいと思うことがよくありますが、「こういう目的で使わせてほしいんだけど、いい?」とたずねると必ず「喜んで!ぜひ使ってください」といってくれます。その作品をつくるために多くの時間と労力を費やしたはずなのに、報酬を求められたことは一度もありません。

おそらく、制作者が真に求めるのは、「敬意」じゃないでしょうか。

私自身も自分の作った教材(スライドやワークシート)をこのサイトで公開していますが、お金がほしいと思ったことはありませんし(それは大学から十分な給料が保障されているからだとは思いますが)、誰がつくったものなのかということを明示してくれさえすれば、教育現場で活用していただけることはむしろ光栄です。欲を言えば、使ってみてどうだったのか、というフィードバックがあれば、さらに嬉しいですね。

21世紀の著作権」を自然な流れに任せることもできますが、自分たちの手で創りあげることも可能なのではないでしょうか。


----- Commented by こころ at 2006-12-11 21:33 -----
youtubeは結構問題になっていると聞いていますが、それは著作権のことを言っていると思います。使いやすいかもしれないが、Webに流出しそうなので、なんか不安ですね。(以下省略)

----- Commented by ebara at 2006-12-12 08:43 -----
えーと、YouTubeが著作権で問題になって、映画会社や音楽会社がたくさん抗議しているのは事実です。最近になって長尺物のビデオがアップロード出来なくなったのはその影響のようですね。

でも、あくまで個人的な思いつきレベルの意見ですが.....

「著作権」そのものが、20世紀的な市場経済の中で生まれ育った概念だとすれば、21世紀的な新しいネット社会経済が出てきた中で、いろいろと軋轢が生まれるのは当然のような気がします。ラディカルな実践や、逆にゆれ戻し的な規制が進んだりしながら、いずれ今とは違った著作権概念に変化していくのではないでしょうか?

----- Commented by こころ at 2006-12-12 12:04 -----
 そうですね。いいお話ですね。ただし、コンシューマの立場から考えたら、確かに以上の提案は望ましいです。しかし、経営者の立場から考えると、あくまでも利益は重視すべきです。言わせますと、著作権=利益となるのではないでしょうか。便利なソフトだからこそ、注目されやすく、問題も多く発覚されます。著作権自体に関して、もし、特許と同じように維持するのに、お金かかったりするようになったら、著作権の概念も根本的に変え、今後yutubeのようなソフトをもっと自由に幅広く利用されるようになるかもしれません。

 ですので、著作権の概念が変化しない限り、利便性を図りながら、有る程度の利益をもたらさないと、どうしても映画会社や音楽会社がyutubeのやり方に納得できないかもしれません。「21世紀の著作権」という美しいお話にはまだまだ程遠いと思います。(あくまでも個人的な考え方です。すみません)

----- Commented by まきの at 2006-12-12 12:40 -----
こころさん、ebaraさん、興味深いお話ありがとうございます。YouTubeの存在を数日前に知った身としては、対等に意見を述べられる立場ではないかもしれませんが…

ゼミの活動では、作品づくりにどうしても必要な場合、著作権が他者に帰属する素材であっても借用してOKという方針で進めています。教育の文脈での使用は法律で許可されているからです。ただし、サーバにのせることは法律で禁じられているので、もちろん、法を犯すようなことはさせられません。

YouTubeについては、おそらく背景にあるコンセプトは「市民によるブロードキャスティング」だと思うのですが、ルールを守るのは市民社会の大前提であり、ルールそのものに改善が必要なのであれば、まずはその手続きを踏むべきだろうと考えます。

ただ、社会現象を読み取るうえで、今おきていることから未来を予測する視点はとても大事だと思いますし、たしかに近い将来、著作権の新しい概念が生まれるのかもしれませんね。

個人的には、「自分の作品」と呼ぶ以上は、最終的には他の人の借り物ではなく、新しいものを生み出す創造力を身につけてほしいと願いますが…
-----(以上です)-----

注) なんだか、「対話デザイン・プロジェクト」をしているみたいな気になりました…(笑)
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by tomac | 2006-12-13 08:48 | コミュニケーション能力って

■ことばとイメージ (番外編2) → ちょっと休憩・・・

b0046050_17523965.gif雨あがりの散歩道です。買ったばかりのデジカメをポケットにいれて歩いてみました。

普段は散歩をしている最中でも頭の中であれこれと考え込んでいるせいか、あまり気分転換にならないのですが、カメラを持って歩くと、不思議なことに、無心になれますね

b0046050_17525286.gifもっと不思議なことは、カメラを覗いて撮影している私を遠くから見ていたのか、道行く人が話しかけてくれることです。

望遠レンズのついた本格的なカメラじゃなくて、ケータイほどの小さなデジカメなのに、なんだろう… 「近寄らないで」オーラを発していない、ということなのでしょうかね??(笑)

私は関西弁が話せないので、一瞬驚いたように見えて、その後は自然に、まるで長年の知り合いのように、親しげに語りかけてくれます。この地に移り住んでもうすぐ5年ですが、こんなにいい散歩道だったとは… 初めて知りました。
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by tomac | 2006-12-11 18:14 | コミュニケーション能力って

■ことばとイメージ (番外編1) → 動画ブログ・ニュース

私の質問におこたえくださったebaraさんのコメントを改めて引用させていただきますね。

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ご存知かもしれませんが、YouTubeはユーザー登録すると、タダでいくらでも動画を投稿できます。視聴ユーザーとしては検索するだけで、思わぬような映像がたくさん出てくるので、見だすとやめられません。
→こちらですが、ホントおもしろい! ゼミのみんなも負けてないけれど…

私は数年前からカヌーをやっているので、友人たちとmixiの掲示板上で旅行日程を相談して、実際にダウンリバーした時に撮影した動画映像はYouTubeに投稿しています。ついでに投稿画像のリンク情報を、mixiの掲示板で教えあって自分のカヌーテクニックを自慢しあってます。先日、私が行った奥多摩の御岳渓谷のダウンリバーの様子は、YouTubeで「mitake」と「canoeing」で検索すると動画映像が出てきますよ。
拝見しました!私もこいでみたいけれど、素人ではああはいかないんでしょうね

ちなみに、最近の高校生達へのYouTubeの普及度が、古川さんのブログにちょっとだけ載ってます。(→こちらも刺激的です。彼らはやがて大学生になるのですから…
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さらに、なんと!このexciteブログでも、2006年10月17日から動画の投稿サービスが始まっていたそうで、2006年11日10日には、投稿した動画を簡単にブログに貼りつけられるようなったというではありませんかーっ! (→こちら

動画の投稿が掲示板なみのお手軽さになるまで5年くらいかかるだろうな~と、たかをくくっておりましたが、ちょうど2年ぴったりでクリアされてしまいましたねー。すごいっ。これはぜひとも、「映像ブログ・プロジェクト2007」での導入をめざしたいです~  

なんだか、在外研究をやむなくキャンセルして、フィンランドでの共同研究が1年延期になったことさえも、このためだったのか~ なーんて思えてしまいますね…(笑)

(デジカメ写真の第1号がきっかけで、ebaraさんがコメントしてくださったわけですから、父に感謝しないといけないですね。おかげさまで、明日無事に退院できるそうです。)
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by tomac | 2006-12-08 12:34 | コミュニケーション能力って

■ことばとイメージ (その4) → 母と父

両親は対照的な性格で、社交家で賑やかなのが大好きなに対して、内気なは自他ともに認める口下手です。そんな二人にも実は共通点があることに気づきました。小さな写真館をほそぼそと経営してきたと、パートとしてスーパーのレジから料亭の仲居までこなしたは、二人とも、どんな小さな仕事でも決して手を抜かない人たちです。

この春入院したも、現在入院中のも、何より心配したのは自分が引き受けた仕事でした。「親ばか」ならぬ「子ばか」かもしれませんが、「すごいな」って単純に思います。

どちらかといえば、父似の私なのですが、写真にかける情熱は足元にも及びませんね。せいぜい、「映像への関心は父の影響なのかな~?」と思う程度で、細かーいところまで緻密にこだわる職人気質なところは、到底真似できません。…が、

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ふと「写真にも目を向けてみようか…」と思い立って、初めてのデジタルカメラを購入しました(ビデオカメラならいっぱい持ってるんだけど)。殺風景な研究室なので気のきいた被写体はありませんが、とりあえず、記念すべき第1号ということで。
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by tomac | 2006-12-06 17:06 | コミュニケーション能力って

■ことばとイメージ (その3) → 英語と漢字

英語の成績は…というと、高校時代は最悪でした。5段階評価で、だいたい「」ですが、授業中にマンガを読んで取り上げられたときは「」になったように記憶しています(汗)。

でも、英文を音読して訳すだけの授業がつまらなくて、つまらなくて、ささやかな抵抗だったのだと思います。私に言わせれば、それくらいの自己主張がなかったら、たとえ英語の成績がよくても、あんまり役に立ちませんよ~

しかし、英語ができないと、さすがに入れる大学がなくて、浪人中はひたすら英語づけの毎日でした。それが後になって効いてきましたね。受験英語といえども馬鹿にできません。が、「」をつけられた先生には、「英語の論文で賞がとれるまでになりましたっ!」と言いたい。(笑)

それはさておき、会話重視活動重視の英語教育が主流となって久しい今日この頃ですが、会話レベルでできることなど本当は限られていて、建設的なコミュニケーションをはかろうと思うなら、文法語彙が何より大切です。

小学校に導入される「英語活動」についても、うーん…と考えてしまいます。

時間が無限にあるのなら、英語あそびでもなんでもやればいい。でも、漢字の読み書きの時間が削られるとしたら、話は違います。

これは、博士論文でも触れた仮説に過ぎませんが、日本語を母国語とする私たちが自覚している以上に、漢字の処理は、脳の発達において、認知のメカニズムに影響していると考えています。

仮に、漢字の読み書きによって開拓されるイメージ処理というものがあるとしたら、その時間が削られることによって、その能力も退化することでしょう。

それを実証するためには、もう少し脳科学の発展を待たなければなりませんが、もし私に子どもがいたら、自分の子には、英会話よりも、漢字の読み書きをさせたいです。
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by tomac | 2006-12-03 17:40 | コミュニケーション能力って
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