コミュニケーション能力と学び(覚え書き)

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■うれしいお年玉 ― 縁起がいいね

お年玉つき年賀状の当選番号が発表されましたね。最もアタリやすい賞品といえば切手シートですが、100枚に2枚の確率ですから、毎年100枚をこえる年賀状を出しては受け取る者としては、昨年のようにアタリが1枚もないと悔しい思いをします。が、今年はナント切手シートが【5枚】もアタリました!豪華賞品は他にもありますが、当選しても困るけどなあ、というモノばかりなので、あまり欲しいと思いませんが、切手シートだけは、あって困るモノではないから、当選は本当にうれしいです。せっせと年賀状を送ったかいがありました。
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by tomac | 2008-01-30 13:25 | 日々の出来事

■対話デザイン2007 → 受講生のふりかえり(5)

対話デザイン2007の一つの成果は「レポートを書く権利」という概念が、受講生の側から提案され、それに対して、「レポートを書く権利を保障するシステムを授業に導入できた、という点だったのではないかと私自身はふりかえっています。

この「レポートを書く権利」ということばを提案してくれた○○さんは、秋学期の学びを次のようにふりかえりました。

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●私はこの12回の授業において無遅刻・無欠席で授業に取り組むことができました。この授業はとても抽象的で考えること無しでは理解することができません。とても難しい内容だったので、先生からのヒントやゼミ生からのフィードバックを通して自分の考えを持つことができたと思います。授業をきちんと聞いて「考える」ことが多かったため、思考する力が身についたと思います。また、セクション1、2、3と断片的なものを総合して考えるのはおもしろく、これがこれにつながっている!!と分かったときは嬉しかったです。コミュニケーションは私たちにとって必要不可欠でとても身近なものなので、授業の内容を自分の経験と照らし合わせることもできました。総合的に私はこの授業に積極的に取り組めました。
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○○さんのような人は、いわゆる優等生であるの同時に、きっと私と価値観が似ているんでしょうね。だからこそ、こんなにも共鳴してくれるのだと思います。

しかし、受講生の価値観は多様ですから、同じことをしても同じ評価が得られるわけではありません。とくに私の授業デザインは、抽象的な概念を断片的に提示し、学び手自身がそのパズルのピースをつなげられるように、できる限りの支援をする、というスタイルなので、一般的な講義を受けているときと同じような受動的な取り組みでは、よくわからないまま終わってしまうケースもあると思います。

それは試験の答案を読んでみると、手に取るようにわかりますね。「よくぞここまで理解を深め、自分の言葉で記述できたね!」と本人に伝えたくなるような素晴らしい答案もありますが、大多数の受講生からは、輪郭はおぼろげながらに描けたけれど、それを的確に表現する術を持たない、という印象を受けます。

問題が難しいことは承知しているので、おぼろげながらも輪郭が描ければ、出題者としては、それで十分だと思っています。平常点(レポート点やボーナス点)の貯金があれば「優」がとれるはずですから。

なお、「評価」という観点でいうならば、試験の点数や成績はもちろん大事ですが、学び手の満足感や達成感はそれ以上に重要だと考えています。だからこそ、次のように自らの学びをふりかえられる受講生が一人でも増えてほしいというのが願いです。

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●この講義内容を全て把握しきれているわけではない。しかし、対話、コミュニケーションという人間の普通の能力を“特別な能力”として見られるようになった。ただ二者間の対話だけがコミュニケーションではなく、講義のような一対多数、インターネットを利用した一対不特定多数もコミュニケーションだと改めて理解した。これらが当たり前で、一般的で、日常だと思っていたからである。無言でも相手に何かを伝えたい時、見えない相手に想いを伝えたい時、日常の会話の時も、この講義をふと思い出すことがあるので、少なくともこの講義が身についているのだと思う。

●この授業で学べることが100あるとすると、私はその内の40程度までしか学べなかったように思う。その原因としては、まずこのコミュニケーション論という学問に取り組むために、どういったスタンスで入ればいいかをなかなか掴むことができなかった。最初にこの授業を受けたときに「なんて曖昧な学問だ」と感じ、それからなかなかその思いを拭うことができなかった。しかし、この授業の中ごろあたりから、なんとなくではあるが、こういった本来言語化することが非常に難しいことがらを言語化するというスタイルに少しずつ慣れてきたように思う。そしてそう思えるということだけで、この授業を受けた意味は十分にあったと感じる。貴重な経験、本当にありがとうございました。

●私は、とりあえず全授業にちゃんと出席した。でも、とりあえず、である。授業中別におしゃべりしていたわけでもないし、前をみていたつもりだったが、いざ命題が提示されて、書こうと思うと、まったく授業の内容を理解していない、というより、考えていなかったことが多かった。特に後半の授業では、え? どういう意味? という命題が多く、自分でも書いているうちに何を書いているかわからなくなり、案の定マイナスの点数が多かった。ただ、少なかったが、理解できた時は頭の上に電球が光ったように、突然先生が言っていることが一本の線につながって、とても授業がおもしろいと感じた。そこで私は授業にでる時は、ただまじめにうけるだけではなく、理解しようと常に頭で考えていることが大切だと思った。ありがとうございました。

●この授業は、日常の生活の中で全く意識することのなかった事柄について詳しく考え、言葉一つ一つがとても意味のあることであり、様々な仕組みで“対話の責任”というものがあるのかなど、今まで考えたことのなかった項目についてたくさん学ぶことができました。また、この授業の最後で毎回レポートとして「命題」「根拠」「事実・データ」を考えることはとても難しいことでした。“物語”“証明”など一つ一つの言葉の意味は理解できても、その背景にあるものとのつながりを考えるとなると、いつもどういうことなのか深く考えてしまい、なかなか書き出すことができませんでした。でも、友達と話し合ったりすることによって少し理解できたりして、楽しいと感じたこともありました。私は、[この授業]はとても深いことが多く、理解するのは難しいけれど、興味を持ち取り組めば、いろんな発見が出来、楽しめるのではないかと思いました。

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一方、こういう学びのスタイルに慣れることができないまま不満だけを残して終わる、という不幸なケースも中にはあります。受講生にとっては「講師との相性」という要因も大きいと思うので、履修登録の前にこういう生の声を届けることができたらなあ、と思ったりします。この授業スタイルをあらかじめ知ったうえで選択することができれば、授業と直接関係のないことに体力を消耗せずにすむと思うので…(笑)

それから、もう一つの改善案として、教科書とはいわないまでも、副読本のような教材があれば、その場で理解できなくても、予習・復習ができるので、助けになるはずなのですが、現状では教科書は使用せず、毎回配布する資料のみという形で進めているので、この問題を何とか解決したい、というのはこれまでもずっと考えてきたことです。

ちょうど来年度から「コミュニケーションと能力」という科目名に名称が変更されるので、これを機会にそういう教材開発に挑戦してみたいです。そのときは、今回の「対話デザイン2007」シリーズを付録として載せてみようか? などと真剣にもくろんでいます(笑)。

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by tomac | 2008-01-28 16:25 | 牧野ゼミ(対話デザイン)

■対話デザイン2007 → 受講生のふりかえり(4)

ただいま試験の最中です。私も監督をしますが、こんなふうに学期末の試験だけで大学の学びを評価するという発想は近い将来、間違いなく通用しなくなるでしょう。その理由を説明し始めると熱く語ってしまうので控えますが、そういう時代に備えて自分にできることは何かな?と考えてみると、【21世紀の高等教育】にふさわしい学びのあり方と評価方法を研究開発することだよな、というわけで、対話デザインのような試みをせっせと続けているのです。

まだまだ試行錯誤の途中であり、至らない点も多々ありますが、対話デザインそのものについては、初年度(2003年度)に比べると、クレームらしいクレームはほとんどなくなりました。

他ならぬ受講生たちがこの授業スタイルの意義をちゃんとわかっています。

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●今まで私は、先生方が講義をし、それを聞くことが授業であり、「聞いて、理解する」というのが自分がやるべきことであると思っていた。しかし、この授業は「先生方から生徒へ」という一方的な考えの押しつけではなく、私たちもレポートを提出して自分の考えを述べるという形で「私たちから先生方へ」というもう一つの方法があり、「自分の考えを述べてそれを発展させる」という授業への参加の方法があるとわかった。最初はあまり深くわかっていなかったが、途中から積極的に自分から授業へ参加しようという考えがうまれ、努力したつもりである。

●私はこの授業で努力したと思います。遅刻も一回電車の遅れでしてしまいましたが、他は授業が始まってから終わりまで集中して聞けたと思います。同じことを延々とする授業ではなく、ビデオを見たり、先生の話を聞いたり、レポートを書いたり。そういう授業だから集中力も続いたし、楽しいと感じられる授業でした。後悔されることは、発言の機会があったにも関わらず、発言できなかったことだと思います。ただ、コミュニケーションという身近であるが今までそれほど気にしなかった問題について深く考えられたことはとても良い経験になったと思います。

●秋学期全体を通して、私は気恥ずかしさもあり、授業内での発言はしてこなかったが、レポートにおいて自身の意見を述べるという事で授業に参加する一員としての責任は果たしてきたつもりである。授業においては、相手を打ち負かす弁論術より、自身の意見を言葉として表し、表現する事の難しさと大切さを学ばせて頂きました。

●授業へは積極的に参加できていたのではないかと自分では思います。毎回の授業の最後に行われる自分の意見を述べるためのレポート提出、はじめに行われる受講生全体へのレポート内容に対しての返答、そして、講師が行う講義、この3つのサイクルに自分は参加し、一つの歯車になれていたと思います。ある授業においては、対話は一つの要素が欠けると全てくずれてしまうという対話の責任を感じさせられる講義もあり、コミュニケーションとは一方通行では成立しないという事も学び、また身をもって理解する事ができました。

●私にとってレポートはとても楽しみなものであった。自分の意見に対しての評価が返ってくる。このこともコミュニケーションと言えるのではないかと感じた。そして一度ゼミ生のフィードバックで、前で私の意見が紹介された時、驚いたと同時に嬉しかった。私にもこれほどの評価が得られる意見が書けるのかと、自分自身に対しての自信にもなった。それから毎回、きちんと授業を聞いているからこそ、きちんと書けると思った。レポートに対しての点数が、きちんと授業を受けた褒美となった。とても頑張れたと思います。

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もちろん、上記のような受講生の対極に、楽をして単位がほしい学生も大勢いるのが現実です。簡単に単位が取れる授業もあるそうですから仕方ありませんが。

しかし、研究室にやってきて、「学びたくて大学に来たのに、高い学費を払って単位を買っているだけ」と愚痴をこぼす学生があとをたたない以上、そういう志の高い学生たちに照準を合わせた授業があってもいいじゃないか、と思うのです。

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by tomac | 2008-01-25 13:10 | 牧野ゼミ(対話デザイン)

■この冬はじめてかな?

b0046050_10222269.jpgお土産にもらったイルカを車に乗せてみました。走っている最中に動いたりして可愛らしいな、と思ってカメラを向けてみたら、それと同時に雪?が舞い始めました(写真ではよく見えないか)。しばし幻想的な雰囲気に包まれていましたが、今日から明日にかけて北陸では大雪ということですから、きっとその影響なんでしょうね…
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by tomac | 2008-01-24 10:30 | 日々の出来事

■道頓堀ツアーを企画しましょう!

まだ時間がありますから、すぐでなくてもいいです。気が向いたら、●こちら●までご連絡くださいね。
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フィンランドのお二人から、「大阪の雰囲気を味わいたい」とのお返事が届きました!ご協力くださった p_asakoさん、はねこさん、隊長にも、ぜひご一緒いただき、さらにご協力いただけたら(笑)、ありがたいです。

フィンランドチームとの共同研究プロジェクトは、5年から10年をかけてじっくり進めていくつもりですが、当初このブログで夢を語っていた(笑)ときから、「市民」がキーワードでしたよね。市民を対象とした活動が視野に入ってくるのはまだ先になりますが、それに先駆けて、研究チームだけでなく、市民チームを編成するという意味で、プロジェクトと無関係ではないのです。

ちなみに、フィンランド人はとても素朴な人たちなので、ご安心ください。とくに今回いらっしゃるお二人は気さくな方たちです。また、年配の方ほど英語に対する苦手意識が強く、そこは日本人そっくりで親近感さえ覚えますよ。

ということで、ご賛同いただけるようなら、「非公開」で結構ですので、コメント欄に連絡先をお知らせください。tomac.jp の「メール」からでもかまいません。

また、このブログをご覧になってくださっている方の中で、ほかにも「われこそは」という方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。

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by tomac | 2008-01-21 22:12 | わくわくフィンランド

■困りました!

フィンランドのパートナーが、4月の末に韓国に招待されているそうで、中継地として関空に立ち寄るそうです。午後4時頃に到着して、翌日の午前11時発のフィンランド行きで帰るのですが、「会えないか」ということなので、「もちろん」とこたえたら、「大阪の中心部も見てみたい」といわれて困ってします。

実質的には夕方から夜だけの時間しかないのですが、関空から車で行ける場所で、しかも、「Osaka」を代表するような場所って、どこでしょうか??

ホテルの手配もしないといけないので、早めに決められたら助かるのですが、どなたか、アイデアがあったら、お聞かせください。よろしくお願いします!
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by tomac | 2008-01-19 06:52 | わくわくフィンランド

■対話デザイン2007 → 受講生のふりかえり(3)

受講生のみなさん、コミュニケーション論の試験、お疲れさまでした。

さて、代筆という不正行為に関する一連の出来事から、「レポートを書く権利は対話の責任を担うことによって得られる」という原則を導入し、遅刻者に対して厳しく対応するように方針を改めました。すると、今度は「やむを得ない事情で遅刻した人の扱い」という新たな課題が浮上しましたね。

最初にこの原則を導入した日はゲストスピーカーをお迎えした日で、「授業の開始時に用紙を配布し、以後は配らない」という連絡をあらかじめ全員に伝えていました。ところが、JRの人身事故により9時に間に合わなかった人たちがいて、この人たちには違う色の用紙を渡すという対応をしました。

納得できない、という気持ちは理解できます。しかし、たとえJRの遅延証明書を持っていても、30分遅れの場合もあれば、1時間遅れの場合もあり、判断は非常に難しいです。それに、JRによる遅刻だけを認めたら、それ以外の正当な理由で遅れた人にどう対応すればいいのか、もっと難しくなります。正当性を証明できない遅刻は他にもあるでしょう?

学費を自分で払っていて仕事の都合で遅刻してしまう人、入院していて5回欠席した人、シューカツで会社説明会に行かなければならなかった人など、怠慢による遅刻や欠席ばかりではないことは承知しています。が、「レポートを書く権利は対話の責任を担うことによって得られる」という原則に照らし合わせると、「遅刻は遅刻」、「欠席は欠席」と判断せざるを得ないんです。色が違っても、用紙を渡さないわけではないのですから…

この対応に対する不満も寄せられましたが、その一方で、私にとって意外だったものをいくつか紹介したいと思います。

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●私は今日を除いた11回の授業を朝の9時から受けてきました。今日JRが遅れ9時に間に合うことができませんでした。私の心の中には“自分が遅れたんじゃない、電車のせいだ”という気持ちがありました。しかし今日、先生が“電車が遅れたせいで遅刻をした人ばかりではない。大切なことは、電車が遅れた、だからその後自分はどうすればいいか、それを考えるべきだ”とおっしゃられて、本当にその通りだと思いました。遅れても残りの時間をどう過ごすのかはその人次第だと思いました。
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これは、「遅刻して違う色の用紙を受け取った人の中にも、9時からいた人よりいいレポートを書いて『◎+』をとった人がいたよ」という話をしたときのことについて述べたものです。「『JRが悪いからレポートが書けないんだ』と主張するよりも、『運が悪かったな』と現状を受け入れて、『今できることは何だろう』と考えるべきじゃないか」と話したのですが、まさかこんなに素直に反応してくれる人がいるとは正直思っていませんでした。

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●私はJRで授業に遅刻し、[色の違う]レポート用紙をいただくということになりました。外国人講師の方が来られた時の話です。その時はすごい憤りを感じましたが、先生のお話を聞いて、なるほどその通りだと思いました。対話の責任とは、そのようなことも関連しているのかなと思いました。

●電車の遅れて遅刻したことがありました。最初は「電車のせいなんだから仕方ないじゃん」と思っていたけど、先生の話を聞いて全然理由にならないと思った。きちんと最初から授業に来ている人もいるのだから、私ももう少し早く家を出たら間にあっていたかもしれない。全然だめだと思った。

●秋学期の前半は、電車の遅れもそれほど大きくなく、9時までに教室に入ることができた。しかし、ゲストスピーカーの講演のとき、人身事故があって、遅刻してしまった。途中からしか講演を聞くことができず、レポートも、書くのにとても時間がかかりました。先生に遅刻を認めてもらえなかったのはとてもショックでした。でも、先生の話を聞き、よく考えると、ショックはショックだけど、“運が悪かったのだ”と思うようになりました。このことがきっかけで、考え方も少し変わりました。

●私はこの授業に9割出席しました。まず感想として、「バス・電車等の遅延については対応できない」というのが衝撃的でした。とても腹が立ちましたが、今日の授業に至るまで、3~4回の授業でしたが、一貫性があり、筋を通した事に私はすごいさすがだと思います。私は今日も遅刻しましたが、何も言いませんでした(言い訳)。それは先生の主張に一貫性があったために他なりません。そのため私は授業の他に、物事の筋を通すことの大事さ、人間に与える影響の大きさが分かったことにとても満足しています。
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いまさら、かもしれませんが、大学生って、こんなにも柔軟なんだなあ、と驚かされます。点数欲しさのリップサービス(笑)も多少あるのかもしれませんが、それにしても、自分のことばの持つ影響力をもっと自覚しないといけないなと思わされました。

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by tomac | 2008-01-16 17:43 | 牧野ゼミ(対話デザイン)

■対話デザイン2007 → 受講生のふりかえり(2)

この話は、授業ではしなかったのですが、ふと思いついたので、ブログに補足してみます。私の判断と行動に「納得がいかない」と思っている人に届けば幸いです。

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ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。(マタイによる福音書18:11-13)
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これは聖書の引用で、しばしば「理想の教師像」として語られます。しかしながら、私の解釈は、一般的な解釈とは異なっています。

たとえば、学校現場でよく見かける光景ですが、不登校の子どもの家に毎日毎日家庭訪問する「金八先生」のように熱心な先生はたくさんいます。しかし、無責任を承知で自分の考えを述べると、私なら、不登校の子どもを無理に連れてこようとはしないと思います。中には、自分なりの考えがあって学校に行かない子もいれば、学校で長時間を過ごすことが耐えられないほど苦痛に感じる子もいるだろうと思うからです。ただし、もしも何かのきっかけで本人が自らの意思で学校に来たら、その子の「居場所」をつくるように努力すると思います。

キリスト教関係者から苦情がくるかもしれませんが(汗)、この聖句の一般的な解釈には盲点があると思うんです。山に残された九十九匹が羊飼いの帰りを待っていられるとしたら、そこには信頼関係があるからです。信頼関係がなければ、羊飼いが不在の間に九十九匹が散り散りばらばらになってしまうでしょう。

ですから、私の基本的な考え方は、一匹はあきらめて九十九匹を守る、というものです。しかし、この原則には例外があって、もしも迷い出た一匹が羊飼いに助けを求めていたら、九十九匹を待たせて、一匹を助けに行きます。なぜならそれは、九十九匹との信頼関係を築くうえで欠かせないプロセスだと考えるからです。

今回の「不正行為」に対する私の判断と行動はこの理念にのっとっています。真剣に取り組んでいる多くの受講生に対して恥ずかしくない授業をすることが私の責任であり、代筆や遅刻に対していちいち時間を割くようなことは本当はしたくないのです。しかし、不正行為の被害者が、自らの意思で助けを求めてきたので、できるだけのことを精一杯しました。

ただし、私の解釈が一般的な聖書の解釈とは異なっているように、私の価値判断がすべての人に納得してもらえるとは思っていません。受講生の感じ方も本当に人それぞれでした。

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●先生の評価の仕方や試されたことについては納得、同意できる点も多くあれば、いまいち納得のいかない点もあったりした。先生が間違ってるとまでは思わないが、もっと意見を交わしてみたいとも思った。が、ある程度は授業内でそれもできたと思う。

●代筆の問題において、その行動をしたやつは悪いですが、先生も生徒を拒絶するような反応を取ったので、もう少しやわらかく生徒とコミュニケーションをとったらどうかと思いました。半年間ありがとうございました。

●先生の授業に対しての態度は共感する部分もあったし、授業の途中にドタドタと入ってこられるのは確かにイヤだった。でも、学生が点数を気にしながら授業を受けるという授業の流れだけはしない方がいいと思っています。

●講義お疲れ様でした。先生の対応には正直納得しかねる部分もありましたが、怒りではなく面白さを感じました。これからも御自身の考えは大切にしてほしいです。ありがとうございました。

●発言をすることが苦手な私には[レポート]を書くことが授業に参加することでしたから遅刻はしませんでした。だから、秋学期の後半に先生が途中から入ってくる生徒に対してペナルティを課したときに毎日早く来てよかったと思いました。私は聞くということで授業に参加していたんだなと感じることができました。発言ができる人間になりたいと思いました。

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一方、不正をしていた当事者たちからは次のようなコメントが寄せられました。

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●レポートでは自分なりに頑張ったと思うし、よくできたと思う。しかし、やはり後悔するのは代筆だ。自分の行為によって他人に迷惑をかけていたとは分からなかった。逆に言えば、知ることができ、それはそれでよかったと思う。少しは成長できたのかもしれない。

●僕は2、3回遅刻してしまって、[先生]が僕達のために必死で講義をやってくれているのに、自分の考えの甘さが出たと思っています。恥ずかしながら[先生に]怒っていただいたおかげで、自分の考えの甘さに気づかされました。迷惑をかけてすいませんでした。

●秋学期の自分の授業への取り組みはあまりよくありませんでした。欠席したり、来ても参加できていなかったりしていました。しかし、前の授業で先生が怒られてから、私のやっていた行動は先生にとって失礼な態度だということに気付きました。大学生になって怠けた生活をし、自分だけならまだしも、周りの人に迷惑をかけたことに反省しております。本当に申し訳ありませんでした。

●この授業は私にとって常に眠気との戦いであった。一時限目ということで時間が早いから、というのはただの言い訳にすぎないが、先生が話をなさっている最中に気を失ってしまうことが何度もあった。それでも遅刻だけはしまいとがんばっていたのだが、一度だけ寝坊が原因で遅刻をしてしまった。30分程度の遅刻だったのだが、それぐらいならいつもレポートを書く時間に十分間に合うだろうとたかをくくって登校したのだが、その日だけは先生が開始後15分までに授業に関することを受講生に書かせ回収した日であった。その日先生はレポートを書き提出する時間を十分に与えてはくださらなかったので、私は開始後15分までに回収された紙もレポートも提出できず点数を得ることができなかった。最初はいきどおったが、これは自分の不注意がまねいた事態であるし、普段の授業においても眠気のせいであまり先生の話を聞けてはいないのでそのバチが当ったのだと思う。それらをふまえ、もう少し生活習慣を見直し、万全の体勢で授業にのぞめば良かったと後悔している。

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このほかにも「対話の責任」に関するコメントがたくさん寄せられましたが、そのうちの一つをご紹介しましょう。

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●この授業において一番印象に残ったのは「対話の責任」という言葉です。日本では古来より言葉に魂が宿ると信じられてきました。あながち、そのことは嘘とはいえないでしょう。これから社会に出ていくことになりますが、自分の発言に責任を持つことはもちろんですが、相手の話を聞く、言わんとしていることを理解しようと努力する、その事によってきちんと責任をはたさなければならないということが理解できました。これからはこのことを肝に命じて、日々の生活を送っていきたいと思います。
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私は、自分の判断と行動が万全だったとは思っていませんが、「責任」ということを伝えることは、知識を教えることよりはるかにむずかしいことを考えれば、挑戦した意義はあったのではないかと自分では思っています。そして、今はまだメッセージが届いていない人にも、今後の人生の中でいつか思い出してもらえたらいいな、というのがささやかな願いです。

受講生のふりかえりシリーズ>は、このあと話題を変えて、さらに続きます。

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by tomac | 2008-01-13 13:00 | 牧野ゼミ(対話デザイン)

■コミュニケーション論の試験について

コミュニケーション論の試験について、質問メールをくれた受講生さんへ

試験に関する質問に対して個人的にお答えするのは不公平になるので、控えます。ここ(ブログ)に書くことで、返信に代えさせてください。


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前回の授業でもお話ししたとおり、試験はいつものレポートとは異なり、受講生が自分の意見を述べる場ではありません。講義の内容をどれだけ的確に理解できているかをはかる場です。

ですから、授業中に説明した内容を、1,2,3のセクションごとに、整理してまとめてください。このとき、たとえば、問2の問題文に含まれる「メッセージの能力」「メディアの能力」「教育」といったキーワードは、各セクションの内容を整理するのに役立つ視点なので、いわばヒントのようなものなのです。つまり、これらのキーワードが含まれない記述は的外れなものとなります。

試験の解答用紙には、いつものレポートのように、「真偽・根拠・事実/データ」の形式にあてはめて「論証」する必要はありません。くりかえしますが、レポートは自分の意見を述べる場でしたが、試験は講義内容の理解度(それを言語化する能力を含みますね)をはかる場です。

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by tomac | 2008-01-10 20:28 | 牧野ゼミ(対話デザイン)

■対話デザイン2007 → 受講生のふりかえり(1)

今日はコミュニケーション論の最後の授業でしたので、恒例の「受講生によるふりかえり」(自己評価)をしてもらいました。全5回のシリーズでご紹介したいと思いますが、まずは「レポートの代筆という不正行為」に関するものから始めましょう。

約200枚の用紙を読み終えて、最も深く心に刻まれたのは、次のコメントでした。


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●私は今まで、中学校から大学受験にいたるまで「最低限の努力で、最低限の点数をとる」というのをモットーに勉強してきた。しかし大学に入ってその考えが変わった。なぜなら大学での勉強は今までと違って社会に出て直接役立つことが多いからだ。したがってこの授業もそれなりにやったつもりだ。最初この授業を受けて思ったことは、人間の本能で自分たちがわかっていることを、ただ複雑な言葉を使って、わかりにくく説明してる授業だった。正直言うと、何の面白みもない授業だ。けど数を重ねるうちに少しだけだが理解できるようになり、その理解が別のさらなる理解を生んで行き、大きな理解になると、徐々にこの授業の意味もわかってきた。すると自分もよりまじめにうけるようになった。が、しかし、後半の方の先生の横暴とも言える行動については未だに理解ができない。それで、大きくやる気がなくなったのは、まぎれもない事実だ。
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自分の判断と行動については、その意図をこのブログや次の授業で伝えたつもりですが、それを承知でなお「未だに理解ができない」のか、それとも、単に説明を聞き逃したのか、それはわかりませんが、いずれにせよ、失ったものの重さと、もはやそれを取り戻すことはできないという事実は真摯に受け止めなければなりません。

ただ、その一方で、不正行為の被害者からは次のようなコメントが寄せられました。


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●授業アンケートの[不正行為]の件ですが、私もそのようなことを紙に書きました。(私のを見て先生が行動を起こしてくれたかはわかりませんが)今も、なんですが、友達にいつもいつもいろんなことを頼まれるのが本当にイヤで、ことわれない自分が追い込まれていて、アンケートを出した日から、自分が先生に書いたことに対して、自分で書いたのに「どうしよう…」と悩んでいました。そして次の授業から先生が行動していて、私はとてもびっくりしました。まさか、生徒の一言にこんなに対応してくれるとは思ってませんでした。でも、罪悪感はずっとあります。先生が行動して下さったことには感謝しています。今回のことで自分の言葉が人に与える影響についてたくさん考えました。

●私も友達に代筆をたのまれていました。仲の良い友達の代筆です…全部で4回した気がします。代筆していた時は、何も考えず友達の為とだけ考えていました。しかし、先生がそのことを話された時、結局は友達が損をしていることに気づきました。高い授業料を払っているのに、[この授業]で得ているものが少ないな…と思いました。直接そのことは友達には言いませんでした。これからも言わないと思います。けれども、そのことを今後につなげなければだめだと思います。別の授業でも、たのまれたとしても断らなければならないことを学びました。その子の為にしたことは結局はその子の為になっていなかったです。

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もちろん、これは授業とは直接関係のないことで、本来ならば、本人が自分で解決すべき問題です。けれども、それをアンケートに書くという行為は、それ自体にリスクがあったはずで、それを適当に受け流すことは、どうしてもできませんでした。また、ちょうど授業の内容と直結するテーマ(対話と倫理)だったので、授業を通して伝えたかったことを実践的に学ぶいい機会になるのではないか、と考えました。そして、中にはそのメッセージを受け取ってくれた受講生もいます。

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●この授業を通して対話の責任を果たすという事の重大性がよくわかりました。先生がその責任を放棄するという授業があるまでは、少しくらい遅刻しても紙がもらえるからいいやと思っていて、遅刻する事が多かったと思います。実際、遅刻して入ってくる人は結構いたように思えます。でも決してそんな事はなく、途中から入ってくる人に対して、うっとおしいと思っている人もいるとアンケートで知る事となって、反省しました。対話の権利は何処まであるのか、もし、先生がその責任を放棄すれば、とんでもない事になるのを目の当たりにして、いい経験になりました。
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この件については、まだまだたくさんの意見が寄せられたので、このあと引き続き紹介していきます。
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by tomac | 2008-01-09 18:38 | 牧野ゼミ(対話デザイン)
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